月別アーカイブ: 2016年4月

今日の聖書/「喜びの叫びを造られる方」詩篇126篇5節


労苦の季節があれば、必ずそれを上回る喜びも備えられます。

涙とともに蒔いた種が、豊かな収穫となります。

そんな恵みの結実が、神様の手の中では起こります。

そんなみわざを経験するとき、2つの喜びがあります。1つは恵みの結実そのものがもたらす喜び。そしてもう1つは「またしても神さまは誠実に働かれた」という神さまについての理解が深まる喜びです。

祈る人には二重の喜びがあるのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28

今日の聖書/「山々が取り囲むように」詩篇125篇2節


神さまは私たちを守られる方ですが、その守りの大きさと堅固さを、詩人は山々にたとえます。

つまり、不動でありいかなる嵐にも耐え、外敵を寄せ付けない、ということです。

自然界の巨大な造形もまた、神さまの御手のわざです。山々をも造られた方は、その大いなる手をもって私たちを包みます。

神さまに信頼する人はなんと幸いなことでしょう。

「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」第二コリント5:14

今日の聖書/「もしも主が私たちの味方でなかったら」詩篇124篇1節

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 もしも、神さまが共にいてくださらなかったら・・。
 私にとってそれは、人生に生きる意味も目的もない、ということです。

 生活は不安の連続であり、孤独で在り続けることです。
 神さまがいなくても、友や伴侶があれば、と思われるかもしれませんが、神さまがいてくださるから友や伴侶を正しく愛せるのです。
 
 そして、何よりも神さまがいなければ、キリストの十字架の赦しがありません。
 私は罪を量産しながら、心に絶望を蓄積しながら生きることになります。

 神さまが共にいてくださらいのなら、人生に生きる意味も目的もありません。

 しかし、神さまは共にいてくださるのです。
 キリストは歴史に介入され、全人類のために十字架に架かってくださいました。
 その愛が私を生かし、明日を明るく照らします。

 この詩篇の問いかけは、私の人生の土台をもう一度思い起こさせ、感謝を呼び起こすのです。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、
 いつも、あなたがたとともにいます。」
   マタイ28:20

今日の聖書/「さげすみの中で、主を見つめる」詩篇123篇2節

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 先日、ある方から問われました。
 いくら神が私を愛してくださっている、と聖書に書いてあっても、現実の生活では負けている自分がいる。それでも神さまの愛を見ようとするのは、結局逃げているのではないか。現実は何も変わらないのに、と。

 それを聞いていたある信徒さんが言いました。
 私は反対に、かつては神さまを信じることを拒否した。自分で成功したい、神を信じると自分が弱くなる、と。でもそれは勘違いだった。神さま抜きで得た勝ちに、平安はなかった。

 興味深い会話でした。
 神さまは、どこまで私達の現実生活に関わってくださる方なのでしょう。
 信じることは逃げることなのでしょうか。
 
 詩人は、人々のさげすみの中に置かれる、という辛い状況にありました。
 しかし、彼はそのさなかで一心に神さまにすがっています。
 全重心を神さまにかけているのです。これが、信頼する、ということなのだと思います。

 人の目にどう映ろうが、自分でどう自己評価しようが、そんなことは関係ないのです。
 イエス・キリストは私達のために、さげすみの真ん中で十字架に架かって死んでくださいました。
 私の体も人生も、この方への応答のために買い取られました。
 
 全重心をかたむけてこの方に身を投じることは、逃げではなく応答であり、信頼です。
 そうやって、神さまを第一にして生きる人は、必ず生き方も変わっていきます。
 心にキリストがおられるのですから。

「わたしは心優しく、へりくだっているから、
 あなたがたもわたしのくびきを負って、
 わたしから学びなさい。
 そうすればたましいに安らぎが来ます。」
   マタイ11:28

今日の聖書/「さあ、主の家に行こう」詩篇122篇1節

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 一番うれしい言葉は、たしかにこれからもしれません。

 「さあ、祈ろう」
 「さあ、賛美しよう」
 そんな風なことばが、教会のあちこちで聞かれることを私は願います。

 かつては、神さまを知らなかった方が、イエス・キリストの愛を知って、「さあ、教会に行こう」と友を誘うさまに感動します。

 私もまた、神さまに目を向けて生き続けていきたいと思います。
 ともにその道を歩む人々が増えていくことを、うれしく思います。

 イエス・キリスト。
 この方に平和があり、この方に希望があるのですから。

「わたしに仕えるというのなら、
 その人はわたしについて来なさい。
 わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。
 もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」
   ヨハネ12:26

今日の聖書/「すべての頂よりも高く」詩篇121篇2節

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 詩人は山に向かって目をあげています。
 人間の存在は、山の前にはちっぽけで、その頂は高くそびえます

 しかし、どんな高山であっても、頂に達すると、それ以上は登れません。
 その山頂よりもさらに高く、空は広がっているのです。
 天地を造られた神さまは、山々よりもさらに大きな方なのです。

 私たちの日々にも様々な大きな出来事が起こります。
 しかし、神さまはそれらすべてよりもはるかに大きなお方です。
 天地を造られた方の計画は、私達の思いをはるかに超えます。

 こんな大きな神さまが、イエス・キリストとして私たちの世界に介入してくださいました。
 神さまは私達の日常に関わってくださるお方なのです。
 すべての頂よりも高く全地を治める方が、私の心の内に住んでくださる。
 この恵みに信頼して、あらゆることに希望を持って望みたいと思います。

「天が地よりも高いように、
 わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
 わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
   イザヤ55:9