月別アーカイブ: 2016年2月

今日の聖書/「あなたの御前には静けさがあり」詩篇65篇1節

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私たちはいま、「静けさ」の無い生活をしています。
様々な物事に囲まれ、忙しく事態は進行し、通知音はなりやみません。
私たちには静けさが必要です。
それはすなわち、いっさいのものを後回しにして、心をしずめるひとときです。

神さまの前で祈るとき、私たちは静けさを取り戻します。
なぜならば、神さまの前では、いっさいのものを後回しにしてかまわないからです。神さまよりも大事なものはありません。
祈る時間は無駄になりません。数分の祈りが、その後の数時間を生み出すことを私たちは知っています。

神さまの与えてくださる静けさは、無の境地ではありません。
そこには、愛があり、希望があります。圧倒的な恵みで満ちているからこその、充実した静けさです。
その静けさの中で、私たちは神さまのみことばを聴くことができます。
手を止めて、足を止めて、目を閉じて、神さまの前で過ごす時間。

神さまは祈りを聴かれる方、そして語られる方です。

「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。
そして、戸をしめて、隠れた所におられる
あなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、
あなたに報いてくださいます。」マタイ6:9

2016年2月28日主日礼拝説教/「打ち傷によっていやされる」第1コリント4章9-13節

■宣教:第1コリント4章9-13節
   「打ち傷によっていやされる」

■音声ファイル⇒こちらです。

今日の聖書/「心の闇」詩篇64篇6節

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 詩人は知っています。
 悪を宿す人の、心の闇の深さを。

 人はこんなにも邪まなことを考え、悪意を隠し持てるのか・・と、ショックを受けるような仕打ちを幾度も経験したのでしょう。

 しかし詩人はそれでも、自分は闇を心に持つ事のないように、神さまに心を明け渡します。

 どんなに心の闇が深くとも、神さまの光はすべてを照らし、また癒やすからです。

「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、
 あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
 また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さが
 どれほどであるかを理解する力を持つようになり、
 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
 こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、
 あなたがたが満たされますように。」エペソ3:17-19

今日の聖書/「不安のためではなく、讃美のために」詩篇63篇3節

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 ある心理学者は言います。
 人は根源的に死を恐れており、その不安の解消のために日々を生きている、と。
 一日のうちに為される、何千・何万の判断は不安の解消のためにされており、その根源には死への恐怖がある、というのです。
 一理あるように思われます。

 しかし、詩人の讃美は死を超えています。
 神さまから与えられた恵みは、いのちよりもまさる、と宣言するのです。
 それはつまり、たとえ死んでも、神さまの恵みはなくならない、という永遠のいのちに関わる恵みを指しているのでしょう。
 いのちよりも大切な神さまとのきずなを持つなら、人生は不安の解消のために消費されることはなくなるでしょう。
 
 私もまた、イエス・キリストにより永遠の愛をいただきました。
 主よ。讃美のために、この唇が用いられますように。
 あなたと共に生きる、今日という日を愛する者でありたいと願います。

「ですから、私たちはキリストを通して、
 賛美のいけにえ、
 すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、
 神に絶えずささげようではありませんか。」
   ヘブル13:15

今日の聖書/「どんなときにも、心を注ぎ出して」詩篇62篇8節

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 神とともに生きる秘訣を教えてくれる詩です。

 どんなときにも、神に信頼すればいいのです。
 絶体絶命の窮地でも。
 自業自得と思えるような、自分の罪の結果の苦しみの中でも。
 「どんなときにも」なのです。

 イエス・キリストは私たちのために、十字架にまで架かってくださいました。
 神さまはすべてを背負ってくださる方です。

 そして、「心を注ぎ出して祈る」ことです。
 心にある本当の思いを告白し、真の願いを打ち明け、不安も恐れも明け渡します。
 この「心を注ぎ出して祈る」ことをするクリスチャンは、実はそれほど多くありません。
 たいへんもったいないことです。
 しかし、私自身も、常にそうしているだろうか、と自分に問いたいと思います。
 恵みはいつも、神さまの前にあふれています。
 すべてのことを置いて、祈りの中で神さまと語り合う人は幸いです。

「ですから、私たちは、
 あわれみを受け、また恵みをいただいて、
 おりにかなった助けを受けるために、
 大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」
   ヘブル4:16

今日の聖書/「私の及びがたいほど高い岩の上に」詩篇61篇2節

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 わたしが神さまにより頼むのは、自分で自分を救う努力を怠っているからではありません。
 神さまは、私を私の及びがたいほど高いところにまで、私を連れて行ってくださるからです。

 イエス・キリストによって与えられた救い。
 そこにあるひとつひとつの輝かしい恵み。
 それは私が自分では決して得ることのできないものばかりです。

 ですから、逆境のときも、不安な夜も、いと小さな私をさらけ出しつつも、私たちは希望を持つことが逃げません。
 救い主である神さまに信頼することを、やめられないのです。

「イエスは彼に言われた。
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
 わたしを通してでなければ、だれひとり
 父のみもとに来ることはありません。』」
   ヨハネ14:6