月別アーカイブ: 2015年12月

<年末恒例>2015年、私たちを導いたみことば

 昨日の年末感謝祈祷会も、幸いな時間でした。
 その席で、お一人ひとりが語ってくださった「今年私を導いたみことば」を紹介しますね。
 「私のはこれです」という方、コメント欄などで分かち合ってくださるとうれしいです。

■S.S.
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
  ヨハネ8:12

■H.H.
「私たちが見つけることのできない全能者は、力とさばきにすぐれた方。義に富み、苦しめることをしない。」
  ヨブ37:23
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
  ヨハネ1:5

■Y.K.
「いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
  1テサロニケ5:16-18

■M.K.
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」
「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。」
  ヤコブ1:2-3,6

■K.H.
「けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。」
  ルカ22:28

■T.R.
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」
  ヤコブ5:16

■N.M.
「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」
  マタイ16:24
「そこで、ペテロがこう言った。『アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』」
  使徒5:3-4

■E.T.
「ただ、主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。」
  1サムエル12:24

■T.S.
「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」
  箴言1:7

■M.Y.
「『これは、彼らと結ぶわたしの契約である』と主は仰せられる。『あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない』と主は仰せられる。」
  イザヤ59:21

■E.T.
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」
  ヘブル12:2

■S.I.
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」
「私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。」
「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」
  伝道者の書3:11,14,12:13

■N.M.
「主を恐れることは知識の初めである。」
  箴言1:7

■M.K.
「あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。
主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」
  ヤコブ4:9-10

■H.M.
「そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。
 『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。』
 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。」
  マタイ14:31-32

■H.S.
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」
  詩編37:5

■S.S.
「わたしは主」
  出エジプト記6章2節

■A.Y.
「人は心に自分の道を思い巡らす。
 しかし、 その人の歩みを確かなものにするのは主である。」
「友はどんなときにも愛するものだ。
 兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」
  箴言16:9, 17:17

■S.R.
「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」
  第1コリント1:23

今日の聖書/「大盾」詩篇5篇12節

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 神の愛は大盾である、と歌われています。
 大盾とは、全身を守る大きな盾です。
 神さまの愛の守りは、頭からつま先まで、すべてを囲むのです。

 私はその愛の中で守られて、一年を終えます。

「父がわたしを愛されたように、
 わたしもあなたがたを愛しました。
 わたしの愛の中にとどまりなさい。」
   ヨハネ15:9

今日の聖書/「苦しみのときにゆとりを」詩篇4篇1節

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 苦しみの時にゆとりを得るという経験を、確かにいつもさせていただいています。
 強がりでもないし、自己修養のたまものでもありません。
 ただ、神さまが恵みによって与えてくださった、平安の核のようなものが心にあって、そこから望みが生まれ続けるのです。

 神さまが実在するという確信は、「良いこと」の連続というよりも、このような苦しみの中でのゆとりによって与えられるのかもしれませんね。

「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、
 貧しいようでも、多くの人を富ませ、
 何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」
   第2コリント6:10

今日の聖書/「試練のただ中での平安」詩篇3篇6節

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 2015年も終わろうとしています。
 順境の日もあれば、逆境の日もあったでしょう。

 この詩を書いたダビデは、幾万の敵に取り囲まれたさなかでも、神さまの守りを信じて安眠した、と記しています。
 それは、彼の豪胆さではありません。
 ともにいてくださる神さまのわざです。

 昨日ある人からメールをもらいました。
 大きな苦しみに直面した事実が綴られた後に、こんな一文がありました。

「・・でも、こんな時でも希望を失わずに前を向いて歩めることは、やっぱり神さまが私たちと一緒に居てくださるからなのだと改めて思いました。
 信仰があってよかった。」

 どんな苦しみの中にも、心の中の平安のともしびは消えることはありません。
 この事実の力強さ。

「イエスはまた彼らに語って言われた。
『わたしは、世の光です。
 わたしに従う者は、
 決してやみの中を歩むことがなく、
 いのちの光を持つのです。』」
  ヨハネ8:12

今日の聖書/「おののきつつ喜べ」詩篇2篇11節

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 この、「おののきつつ」が大事だと思うのです。
 神学校の恩師である、舟喜順一先生が、生前「なれなれしさ」というタイトルで説教をなさいました。
 クリスチャンが間違えがちな、「神さまへのなれなれしさ」を取り上げたものでした。

 神さまは愛の方です。私達のところまで来てくださって、友となってくださいます。これは、一方的な恵みです。
 しかし、それだからといって私達の側で、神さまを気の合う友だちや、当然わがままを聞いてくれる都合のよい存在と考えてはならないのです。
 私たちが祈っている対象は、天地を造られた方であり、いのちと死の権威を持つ方です。
 この方との愛の交わりに入れられているのですから、大いに喜びつつ、同時に畏敬の念は決して忘れるべきではないのです。

 主よ。あなたとの健全な関係に、いつも私を置いてください。

「父がわたしを愛されたように、
 わたしもあなたがたを愛しました。
 わたしの愛の中にとどまりなさい。」
  ヨハネ15:9

怒涛の恵みの年末なのです

 ということで、クリスマスイブの写真をこんな時間にやっとアップしたり・・。
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 どれだけ人が来るんだろう・・と感動したイブ礼拝。
 イエス様ってすごいな、って思いましたよ。
 こんなにも人々を引きつけるのですから。

 右下の不思議なアートは、イブの夜、Ingressの仲間がサプライズで作ってくれたものですよ。

 そして、泊まり客があって夜ごとに聖書クラス。
 今日は、今年最後の礼拝、夕方は賛美礼拝。
 下の写真は賛美礼拝の終わりの一枚ですよ。
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 音楽ゲストの、倉敷教会のKazuのソウルフルな楽曲は、とても心に響くものがあったのでした。

 それにしても、何と幸いな一年だったことでしょう。
 大切な人たちと共に過ごして、なんと生き生きとした日々だったことでしょう。
 感謝しつつ・・・寝ます。