月別アーカイブ: 2015年9月

今日の聖書/「神とそのみことばを教師として」歴代誌第2 24章2節

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 南ユダのヨアシュ王は、7才で王位につきました。
 そして、祭司エホヤダがヨアシュを支えているときは善政を敷いたようです。
 しかし、エホヤダの死後、神に背き、悪い政治を行ったため国を傾かせました。
 人心は離れ、その死に様も悲惨で、孤独でした。

 子育てにせよ、教育にせよ、親や師がいつまでも子どもたちの面倒を見ることはできません。
 順番的には教える側の方が先に死ぬからです。

 しかし、もしも子どもたちが神さまと結びつくなら安心です。
 親や教師と違って、神さまはいつまでも、どこまでも共におられ、永遠に守り、導き続けてくださるからです。

 新約聖書でパウロは、地上での別れを人々に告げるときに、この永遠の教師をまっすぐに指し示しました。
 人々が神とそのみことばに目を留めるなら、彼らの救いと平安は保証されています。
 こうして、パウロは安心して別れることができたのです。
 
 愛するとは、愛する相手がいつまでも幸せであることを望むことです。
 そして、それは「私が」頑張ることだけでなく、私よりも確実に相手を幸せに出来る方を指し示すことでもあるのです。

いま私は、あなたがたを
神とその恵みのみことばとにゆだねます。
みことばは、あなたがたを育成し、
すべての聖なるものとされた人々の中にあって
御国を継がせることができるのです。
 使徒20:32

今日の聖書/「聖なる宮とならせてください」歴代誌第2 23章6節

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 聖くないものは、神の宮からのぞくように、と命じられています。

 そして、新約聖書においては、イエス・キリストを信じた人は、聖霊の宮であり、一人ひとりが神の家であると知らされています。

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、
神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、
もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
 第1コリント6:19

 私のからだ、私の心は、聖なる神に満たされるためにあるのです。
 どうぞ、私のうちに、あってはならない汚れがあるなら、取り去ってください。
 心の深くに、罪の根がはびこっていることを告白します。
 自分ではこれらを取り除くことができないことも知っています。
 ですから、あなたに今日も心を明け渡します。
 あなたが、私を知り、取り扱ってください。

 私の心のすべてをあなたに預けられるのは、私のためにいのちを捨てた、キリストの愛を知ったからです。
 あなたになら、平安の中で、すべてをおゆだねできます。
 私を御心のままに、お取り扱いください。

神よ。私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、
私をとこしえの道に導いてください。
 詩篇139:23-24

蒜山でのんびりしますね

   
 
教会から下半期の休暇を頂きました。
読みたかった本をかかえて、妻とともに蒜山バイブルキャンプに転がりこんでいます。

休みなさい、と言ってくださる役員会。

幸せなことです。

休みますね。

今日の聖書/「助言者は選ばなくては」歴代誌第2 22章3節

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 南ユダ王国のヨラム王は、偶像礼拝にふける母アタルヤの助言を受け入れたせいで、滅びに至りました。

 助言者は選ばなくてはなりません。
 その人の助言が、
 聖書から来ているか、
 愛からでているか、
 そして、その人がどう生きているか、
 をよく判断する必要があります。

 人は、自分の都合のよい助言者を喜びます。
 しかし、内なる聖霊は、何が正しいかそうでないかを判定する感覚を私たちに与えてくださいます。

 私には恩師がいました。
 しかし、召天されました。
 残念ながら、恩師の多くの教えの記憶が、いつも有効とは限りません。
 過去のおことばが、今の日常の現象をすべて網羅していないのです。

 しかし、恩師が従い続けたイエス・キリストは、昨日も今日も変わることなく生きておられます。
 恩師の死は、私に対して、これからは直接キリストに聴くように、というメッセージでもありました。

 良い耳を働かせ、心を祈りに向かわせて、神とそのみことばから助言を受ける私でありたいと思います。
 私が友の正しい助言者でありつづけるためにも。

みことばを宣べ伝えなさい。
時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
寛容を尽くし、絶えず教えながら、
責め、戒め、また勧めなさい。
というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、
自分につごうの良いことを言ってもらうために、
気ままな願いをもって、
次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
真理から耳をそむけ、
空想話にそれて行くような時代になるからです。
  第2テモテ4:2-4

2015年9月27日主日礼拝説教/召天者記念礼拝「眠れる聖徒たちの目ざめるとき」テサロニケ人への手紙第1 4章13-18節

■宣教:テサロニケ人への手紙第1 4章13-18節
   「眠れる聖徒たちの目ざめるとき」

●礼拝録画

●メッセージ音声録音⇒こちらです。

今日の聖書/「神を愛さないということ」歴代誌第2 21章20節

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 南ユダ王国のヨラム王は、父ヨシャパテと異なり、聖書の神にそむき、悪を行いました。
 そして、国力を弱め、悲惨な死に様にいたりました。

 特に「彼は人々に愛されることなく世を去った」というフレーズが心に残ります。
 聖書の中には「神と人に愛される」という祝福のことばがありますが、ヨラムは逆です。
 彼は神を愛さない歩みのゆえに、人から愛されなかったのです。

 神を愛する人には、以下の特徴があります。
 神のみことばを愛するので、結果的に正しい判断に至ります。
 神とのつながりの中で、信頼や平安、喜びといった性質を身につけます。
 神の前に自分が何者であるかを知るので、高ぶりません。
 神からの愛を受けて、人に対しても忍耐強く、良き友であろうとします。

 こういった人が、人々に愛されないはずがありません。
 この人を形作っているのは、個人の努力ではなくて、神とそのみことばです。

 神を愛さなかったヨラムは、これらの良い実りを持たなかったゆえに、自己中心で、自分の欲にしばられた生き様をしました。

 まさに、聖書が記しているとおりです。「主を恐れることは知識の初め」(箴言1:7)なのです。

父がわたしを愛されたように、
わたしもあなたがたを愛しました。
わたしの愛の中にとどまりなさい。
  ヨハネ15:9