月別アーカイブ: 2015年7月

今日の聖書/「主だけを恐れるということは」列王記第2 17章39節

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 主だけを恐れるということは、他のものを恐れなくてよい、ということです。
 すべての権力者も、明日の不安も、サタンも、死も、恐れることはないのです。
 主がすべての敵の手から私たちを救い出されるのですから。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、
あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。
あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。
わたしはすでに世に勝ったのです。
  ヨハネ16:33

今日の聖書/「みことば以外の心の土台をもつこと」列王記第2 16章10節

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 ユダのアハズ王は、他国の祭壇を見て「これはかっこいい!」と思ったのでしょうか、詳細な設計図を起こして、エルサレムに送ります。
 そして、かつてモーセに命じられた神の祭壇と置き換えるのです。

 いかに神さまとそのみことばが軽んじられていたか、が分かります。
 人は様々な判断をしますが、みことばを越えることは誰もできません。
 私たちの経験も、感情も、計算も、直感も、本当にあてにならないものです。

 キッズキャンプでは、はじめて神さまの話を聞く、という子どもたちもいました。
 楽しい質問がいろいろと出ました。
 神さまは誰が作ったのか?神さまはどうして人間に悪いことをすることもゆるしたのか?祈ったら答えてくれるなんて、なんかこわいんだけど?などなど。
 ひと通り答えつつも、「もしもみんなが『分かった!』と神さまのことを全部分かるなら、それは本当の神さまではないよ」と言うと、ぽかんとしてました。
 「だって、神さまと人間とどちらが大きいの?」と尋ねると「神さまでしょ?」とのこと。
 「だったら、私たちの頭で、神さまのことはおさまるかな?」と言うと「あそっか・・」と納得してくれました。
 生まれて初めて、自分の頭の理解を越える存在を感じた瞬間だったのではないでしょうか?

 でも、神さまは私たちのことをすべて把握しておられ、また聖書を通して具体的なことばによって、多くを教えてくださっています。
 そのみことばで心の土台を作るとき、私たちは自由を味わい、自分を理解し、どう生きればよいか、という原則を確かに持つのです。

 アハズ王は、聖書が命じる礼拝のあり方を安易に変更しました。
 それは、彼が自分を神とし、まことの神を軽んじていたことを行動で表したのです。
 私もまた、心において、みことばとは違う判断を土台としていないかどうか、点検したいと思います。
 なぜなら、真理に従わないとき、自分が生きにくい人生を構築するだけではなく、他者にも傷を与え続けることになるからです。

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、
それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
  マタイ7:24-25

今日の聖書/「裏切りは裏切りを」列王記第2 15章10節

  
王たちは、神に背き続けます。

そして自分自身は謀反によって倒れます。

裏切る者は、自分も裏切られるのです。

心の不誠実は、そのまま自分への不誠実を招きます。

私たちも不誠実な者です。それなのに、神の救いを期待することができます。

なぜなら、誰よりも誠実な方であるキリストが、私たちの身代わりとなってくださったからです。

弟子たちに裏切られ、十字架にかかってくださった方。この方の与えてくださる救いの中で、私たちの不誠実はゆるされ、また誠実な生涯への導きをいただけるのです。

自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。  ピリピ2:4-7

今日の聖書/「すべてに先立つみことば」列王記第2   14章27節

  
北イスラエル王国のヤロブアムは、決して良い王ではありませんでした。

24節には「主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪をやめなかった」と記されています。

にもかかわらず、41年にわたって王位につき、失われていた領土を回復させました。

それは、神さまがかつてイスラエルの祖先たちに祝福を約束したからです。

神さまにとって、ヤロブアム王の背信は悲しみと怒りそのものであったでしょう。しかし、民を祝福し見捨てない、というみことばはすべてに優先されるのです。

主よ。今までみことばを通して与えてくださった一つ一つのみことばを感謝します。

恵みにこたえ、私もまたあなたに誠実であらせてください。

それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。  ローマ2:4

今日の聖書/「信仰の矢を何度でも」列王記第2 13章19節

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 イスラエルの王は、矢の意味が何かを分かっていました。
 それは、神さまからの勝利の象徴でした。

 預言者エリシャが、弓を引いて地を打てと命じた時、王は何度でもそうすべきでした。
 しかし、王は勝利を信じきっていませんでしたし、神を信じきっていませんでした。

 もしも私たちが神を信頼するなら、いかなる窮地にあろうとも、何度でも祈り、何度でも歌い、何度でも信仰を告白すべきです。

いつでも祈るべきであり、
失望してはならないことを教えるために、
イエスは彼らにたとえを話された。
  ルカ18:1

2015年7月26日主日礼拝説教/「目が見たことのないもの」ヨハネの福音書20章1ー10節

■宣教:ヨハネの福音書20章1-10節
    「目が見たことのないもの」

●礼拝録画


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●メッセージ音声録音⇒こちらです。