月別アーカイブ: 2015年5月

すばらしい日々

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 今日も喜びがいっぱいつまった日曜日でした。
 良いことがたくさんありすぎて、なんだか心がざわつくとき、それは大切なあることを忘れているときです。

 すなわち、ひとつひとつを神さまに感謝すること。
 それをしないと、喜びの数々が行き場をなくしてざわざわするのです。

 ひととき静まって、今日の喜びを主に祈ります。

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わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
  詩篇103:2

2015年5月30日伝道礼拝説教/「真理はあなたがたを自由にします」ヨハネの福音書8章31-32節

■宣教:ヨハネの福音書8章31-32節
    「真理はあなたがたを自由にします」

●礼拝録画


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●メッセージ音声録音⇒こちらです。

今日の聖書/「まず聞く」サムエル記第2 2章1節

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 ダビデがイスラエルの王になるための道筋が開けました。
 彼は若い時すでに預言者サムエルによって王に選ばれています。
 しかし、時の王サウルによって執拗に命を狙われました。
 そしてそのサウルが戦死をしたのです。

 ダビデはここでイスラエルの王として名乗りをあげる選択もあったと思うのです。
 しかし、彼はまず神さまに今後どうするかを祈り求めるのです。
 そして、導きに従い、すぐにイスラエル全体の王にならず、出身部族であるユダの王として数年を過ごします。

 人間の目には「これしかないでしょ」と思える時にも、神さまには別の道がある場合が少なくありません。そして、そちらの方が最善なのです。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
  箴言3:6

今日の聖書/「敵視されても敵対しない」サムエル記第2 1章10節

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 サウルの死の二日後、一人の男がダビデのもとに第一報を知らせに来ました。
 しかし、男は伝え方で大失敗をしました。

 ダビデのいのちを執拗に狙ったサウル王死亡の知らせを、ダビデは喜ぶに違いないと思ったのです。
 彼はサウルの王冠と腕輪を、誰に届けるのがいちばんもうかるか、を考え、ダビデに違いないと考えました。
 さらに、彼自身がサウルにとどめをさした、という話まで捏造したのです。

 しかし、この報告はダビデに大きな悲しみと怒りを引き起こすこととなり、伝えた男は殺されるのです。

 ダビデはサウル王に敵視されていました。しかし敵対はしなかったのです。
 敵視されても敵対しない。言うのは簡単です。本当に敵対してないかどうかは、相手が損害が生じた時に分かります。
 心から悲しめるか、それとも内心に喜びを感じるか。
 敵視してくる人に敵対しない、ということは、大変にむつかしいことです。

 私たちはどこまでも自己中心で、その罪に縛られており、人を愛したり、敵をも赦したりすることはできないのです。
 ただ、十字架にまでかかって私たちを救って下さったキリストだけが、そんな愛を心に養ってくださいます。

 たとえ敵視されることがあったとしても、敵対しない生き方を教えて下さい。

キリストは罪を犯したことがなく、
その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、
苦しめられても、おどすことをせず、
正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
 第1ペテロ2:22-24

今日の聖書/「自分のいのちにこだわってみても」サムエル記第1 31章4節

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 サウル王は、自分のいのち、評判、権力に固執するあまり、誠実なダビデを妬んで排除しようとしました。
 しかし、結果的に悲惨な最期を迎えます。

 自分のいのちに執着したのに、自分でいのちを絶たなくてはなりませんでした。

 人は、どんなに自分のいのちにこだわってみても、それを守り切ることはできません。
 私たちは生きているのではなく、生かされているのですから。
 いのちを与えてくださった神さまに、大切なことは全部、おゆだねすることです。
 
 イエス・キリストは、神であられるのにご自分のいのちを捨てて、十字架にかかってくださいました。
 この方は、いのちを与えることのできるかたであり、死後の復活を約束してくださる方です。
 また、地上での生涯において、生きるべき歩みを示して、実りある生活を与えてくださいます。
 この方とのつながりを守り、そのみことばを守ることは、自己の保身に生きるよりも、ずっと自由で希望があります。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、
わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。
人は、たとい全世界を手に入れても、
自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。
 ルカ9:24-25

今日の聖書/「主によって奮い立つ」サムエル記第1 30章6節

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 味方と戦う、というピンチを逃れたダビデでしたが、自分たちの町に帰った時、大変な事態になっていました。
 アマレク人が町を襲い、女子供もろとも略奪したあとだったのです。

 絶望的な状況でしたし、内乱も起きそうな事態でしたが、ダビデは主によって奮い立ったと記されています。
 どんな過酷な状況も、ダビデとその信仰を打ち負かすことはできませんでした。

 人の真の強さはその能力や武器によるのではなく、その人と神さまとの絆の強さによるのです。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、
豊かさの中にいる道も知っています。
また、飽くことにも飢えることにも、
富むことにも乏しいことにも、
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、
どんなことでもできるのです。
  ピリピ4:12-13