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2014年11月30日山陽教会伝道礼拝説教 /詩篇62篇8節 「私の居場所となってくださる神」

■宣教:詩篇62篇8節
   「私の居場所となってくださる神」

●礼拝録画


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●メッセージ音声録音⇒こちらです。

今日の聖書/「ことばを目に見えるかたちにする知恵」出エジプト記37章1節

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 主から知恵を頂いた技術者ベツァルエルは、神がモーセに語られた指示に従って、契約の箱を始めとする様々な礼拝の用具を制作しました。
 キュビトとは約44cmです。
 (↓契約の箱の想像図)
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 彼は、まだ見たことのないものを、ことばによる指示だけで形にしました。
 彼にはそれをするための神からの知恵が与えられていた、と記されています。
 聖なるアート、と言うことができるでしょう。

 ことばをかたちにするアート。
 それは、今を生きるわたしたちの日々のわざである、と言えます。
 聖書が語ることばを受け止めて、それを生活の現場で実践するのです。
 「平和をつくる」とはどうすることなのか、「互いに各器官としてキリストのからだをつくる」とはどういうことなのか、「キリストに愛されたように愛しあう」とはどのように関わりあうことなのか。
 ことばを最良のかたちにして実践する。そのための知恵も神さまは与えてくださいます。

 生きるとは、新たなものを生み出すことであり、神と人を喜ばせる実りを結ぶことです。

「私たちは神の作品であって、
 良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
 神は、私たちが良い行いに歩むように、
 その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」
    エペソ2:10

今日の聖書/「感謝から生まれるもの ーありあまるささげものー」出エジプト記36章7節

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 荒野を旅するイスラエルの民が、新たに金や銀や宝飾物を得ることはできなかったでしょう。
 彼らは自分たちが持っているものをささげたのです。
 幕屋での礼拝につかう器具を作るのに十分な材料が集まったと記されています。
 民はそれでもささげることをやめなかったとあります。
 また、それらの材料を使う技術者たちも進んで奉仕をしました。

 彼らにささげものをさせたのは、「感動」であったと聖書はいいます。
 強いられてささげたのではなく、進んでささげたのです。
 
 教会のすべての活動や、クリスチャンの生活の原動力はこの「感動」です。
 感動は恵みのあるところに生まれます。
 そして聖書と聖霊は恵みを語り続けてくれます。

 ただ、感動すべき恵みを受けていながら、それを忘れるということもあります。
 当然のこととして神さまからの恵みを受け止め、さらに他のものを求めたり、不平をつぶやいたりするのです。
 イスラエルも、やがてこのような罪を犯すことになります・・。

 私はどのように神さまに愛されているのか。それを見つめることは、私達自身が感動する民、進んで良きものをささげる民であるために重要です。

「わがたましいよ。
 主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
    詩篇103篇2節
「信仰の創始者であり、
完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されました。」
    ヘブル12:2

今日の聖書/「職人に教える力をも」出エジプト記35章34節

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 荒野の旅路にありながら、イスラエルの技術者たちは高度な細工で神の幕屋や器具を設計しました。
 それに使う金や銀も、民が心から進んでささげたとあります。

 設計者や技術者たちに神さまは優秀な技能を与えました。
 それだけではなく、教える力も授けられた、とあります。

 「あの人は職人だね」と言われる人たちがいます。
 それぞれの道にプロフェッショナルがいて、誰も到達できないような感覚と技量を発揮します。
 しかし、その技能を上手に教える力も兼ね備えた人は多くはありません。

 人に何かを教えることは簡単なことではありません。
 「教えても無駄だな」とか、「自分も自分で見つけだしたのだから、あなたも自分で身に着けなさい」と言ってしまいたくなることもあるでしょう。
 しかし、神さまは技能だけではなく、次の人を育てる力もまた与えてくださるお方です。

 職人は弟子に技術を、親は子どもに生きるすべを、教師は生徒に学び方を、クリスチャンは求める人に救いの道を。
 伝える力、教える愛と知恵をお与えください。

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、
 その人は、だれにでも惜しげなく、
 とがめることなくお与えになる神に願いなさい。
 そうすればきっと与えられます。」
   ヤコブ1:5

今日の聖書/「どうか主が私たちの中にいて、進んでくださいますように。」出エジプト記34章9節

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 シナイ山のふもとで、イスラエルの民が犯した罪は致命的なものでした。
 彼らは、金の子牛の偶像を造り、それを神としようとしたのです。
 
 しかしそれでも神さまは民をあわれみ、律法を与えて正しく導こうとします。
 モーセもまた神に願い出て、これからも民と共に進んでくださるように、と祈ります。

 致命的な罪を犯しても、悔い改めて神さまにすがるなら、そこには回復と希望があります。
 神さまは愛の神だからです。

 私の今日という一日の中心に、神さまがいてくださいますように。
 二度と繰り返されない今日という日に、恵みの中で働かせてください。

「神へのいけにえは、砕かれた霊。
 砕かれた、悔いた心。
 神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
   詩篇51:7

今日の聖書/「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。」出エジプト記33章15節

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 モーセの切なる願いです。

 イスラエルの民のはなはだしい裏切りにより、神と民との関係が損なわれるのではないか、とモーセは恐れました。
 神様「ご自身が」と、直接のつながりをモーセは強調して確認しています。
 神様もまた、その願いにこたえて、これから歩みを共にしてくださることを確約しています。

 神様がご一緒くださらなければ一歩も先に進めない。そんな局面が人生には何度もあります。
 しかし、神様からの平安があるならば弱い私でも新しい一歩に踏み込むことができる。どんな遠い道のりにも旅立つことができます。

 イエス・キリストによって現された聖書の神はインマヌエル「我らとともにおられる神」です。

「『見よ、処女がみごもっている。
  そして男の子を産む。
  その名はインマヌエルと呼ばれる。』
  (訳すと、神は私たちとともにおられる、
  という意味である。 )」
    マタイ1:23