月別アーカイブ: 2014年10月

今日の聖書/「頑固になってはいけない相手」出エジプト記7章23節

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 イスラエル人を奴隷から解放しようとしないエジプトのパロに、神さまのわざが起こります。
 モーセとアロンは、ナイル川を血に変えました。
 エジプトの民は、水を求めて穴を掘ることになりました。

 するとパロはエジプトの呪法師たちに、同じ奇跡をさせた、とあります。
 そして、身を返して家に帰った、と。
 パロはもう王としての本分を忘れ、体面を保つことしか考えていません。
 民は水が無いままなのに。
 神さまは、彼の心が頑固なのを、そのままにされています。
 そしてさらに大きなみわざがエジプトを襲うことになります。

 神さまは、頑固になってはならない相手です。
 聖書に書かれている神さまのみ心に、自分が従ってないことを聖霊が教えるとき、愚かな頑固者になってはなりません。
 出エジプト記におけるパロの生き様は、すべての心かたくなな人への警告です。

「主はあなたに告げられた。
 人よ。何が良いことなのか。
 主は何をあなたに求めておられるのか。
 それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、
 へりくだって
 あなたの神とともに歩むことではないか。」
   ミカ6:8

今日の聖書/「みんなが頑張れない時、神様はひとりで頑張る」出エジプト記6章9節

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 エジプトにおける奴隷解放は、パロの怒りを買い、あっという間にイスラエルの民は萎縮してしまいました。
 そして神から遣わされたモーセも、すっかりくじけてしまっています。
 当事者たちががんばれなくなっているなかで、神様はそれでも語りかけます。

 私たちは神様の御心を知って、希望に燃えて頑張ろうとします。
 でも、頑張れない時だってあります。
 人はどこまでも弱いのですから。
 でもそんな時は神様はお一人でも頑張ります。
 イエス・キリストはたった一人で、十字架に向かわれ、私たちのすべての罪を身代わりに背負ってくださいました。

 神様はできないことをしなさい、とは決して言われません。
 みことばが語られるときは、みことばを行う力もまた備えられます。
 頑張れないときは神様に「頑張れないっす」と祈り、それでも愛されている喜びを味わってから、もう一度立ち上がりましょう。

「弱った手を強め、
 よろめくひざをしっかりさせよ。
 心騒ぐ者たちに言え。
 『強くあれ、恐れるな。
  見よ、あなたがたの神を。
  復讐が、神の報いが来る。
  神は来て、あなたがたを救われる。』」
  Isa35:3-4

今日の聖書/「逆境で、すぐにみことばを手放しちゃう」出エジプト記5章21節

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 モーセが兄アロンとともにエジプトに帰ってきて、イスラエル救出の約束を告げた時、イスラエル人たちは喜びました。
 しかし、エジプトの王パロはモーセのことばを鼻であしらい、奴隷を解放する反対に、彼らの労役をさらに厳しくしました。

 その途端イスラエルの民は、モーセに悪態をつくのです。
 喜んで受け入れた神の約束のことばも、逆境に会うとすぐに手放してしまう。
 これは、私たち人間の姿をよく表しています。

 神様に信頼すること、信じきることはたやすいことではありません。
 何度も失敗をする中で、信仰こそ答えであることを学ぶのだと思います。

 逆境の中でもなお信頼して祈り、その輝かしい結果を味わうことで、信仰者は養われていきます。
 どうぞ信仰を増し加えてください、と祈るものでありたいと思います。

「また岩地に蒔かれるとは、
 みことばを聞くと、
 すぐに喜んで受け入れる人のことです。
 しかし、自分のうちに根がないため、
 しばらくの間そうするだけで、
 みことばのために困難や迫害が起こると、
 すぐにつまずいてしまいます。
 また、いばらの中に蒔かれるとは、
 みことばを聞くが、この世の心づかいと
 富の惑わしとがみことばをふさぐため、
 実を結ばない人のことです。
 ところが、良い地に蒔かれるとは、
 みことばを聞いてそれを悟る人のことで、
 その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、
 あるものは六十倍、あるものは三十倍の
 実を結びます。」マタイ13:20-23

今日の聖書/「口べたであろうと雄弁であろうと」出エジプト記4章12節

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 エジプトに行ってパロと対峙し、またおびただしいイスラエルの民を率いよ、と言われてモーセはたじろぎます。
 このようなミッションにたじろがない人はいないでしょう。しかもモーセは若い時に失敗経験を持つ老人でした。
 何よりも彼は自分の弁舌に自信がありませんでした。

 しかし、神さまは彼の口を用いると約束されました。
 神さまが言うべきことばを教える、と。

 聖書に出てくる「預言」はことばを預かる、と書きます。
 口下手であっても神のことばを語るなら預言者であって、用いられるのです。
 反対に、どれほど雄弁であっても神のことばを語らないなら、用いられないばかりか神の働きを妨げることになります。

 そして、幸いな事に、聖書には神のことばがいつでも読めるかたちで書いています。
 さらに、内に住まわれる聖霊は、必要な時に必要なことばを思い起こさせてくださいます。

 このみことばの光で自分を照らし、周りを照らす者として、クリスチャンはつかわされているのです。

「まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、
 あなたの口にあり、あなたの心にあって、
 あなたはこれを行うことができる。」
   申命記30章14節

今日の聖書/「今、行け。と神さまが言われるなら。」出エジプト記3章10節

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 神さまはミデヤンの荒野で、モーセに出会われました。
 そして、エジプトで労役に苦しむイスラエルの民を救い出せ、と命じられたのです。

 それは、モーセにとって良いタイミングとは思えませんでした。
 彼はかつてユダヤ人を守ろうとして失敗し、逃げ出してきました。
 それからもう40年が経っていました。
 彼にはもう自分の生活があり、親戚や家族とともに住み、羊を飼っていました。
 何よりも、彼はもう80歳でした。
 つまり、もう手遅れです。

 強大なエジプトのパロと対峙するなど、ビルボ・バキンズが竜スマウグと戦うよりも困難なミッションでした。
 そして長年の奴隷生活に心痛めつけられているイスラエル人もまた、モーセに従って立ち上がるとも思えませんでした。

 しかし、神さまは「今」と言われたのです。
 そして結論から先に言えば、モーセとともにイスラエルの民は大挙してエジプトを脱出することになります。

 私の「時」が神さまの指示と異なる時。
 その時は神さまの「時」を選ぶことです。
 神さまが今と言われるなら、今がその時なのです。

「神は仰せられた。
 『わたしはあなたとともにいる。
  これがあなたのためのしるしである。
  わたしがあなたを遣わすのだ。
  あなたが民をエジプトから導き出す時、
  あなたがたは、この山で、
  神に仕えなければならない。』」
    出エジプト記3章12節

2014年10月26日山陽教会主日礼拝説教 「わたしを見た者は、父を見たのです」ヨハネの福音書14章8-15節

■宣教:ヨハネの福音書 14章8-15節
   「わたしを見た者は、父を見たのです。」

●礼拝録画


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●メッセージ音声録音⇒こちらです。