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2014年8月31日山陽教会主日礼拝説教 渡邉亘師/「信仰を運転してみよう」ハバクク書2章1-4節

■宣教:渡邉亘師
    ハバクク書2章1-4節
   「信仰を運転してみよう」

●礼拝録画


Broadcast live streaming video on Ustream

●メッセージ音声録音⇒こちらです。

●神戸教会でさせていただいたメッセージも載せておきますね。
 ヨハネ13:34-35 「愛と宣教」 音源はこちらです。

神戸聖約キリスト教会に行って来ましたー。

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早朝の電車に揺られて、神戸は灘区にある神戸聖約キリスト教会に行って来ました。
教団の一斉講壇交換の一環です。

震災直後の記憶などを辿りつつ六甲駅からの道を歩きましたよ。

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なんと、リフォーム中。
しゃれた会堂がさらにきれいに。
旧知の信徒さんが温かく迎えてくださいました。

礼拝前に、説教用のピンマイクのセットを渡されて、都会の教会は違うなぁと実感しましたよ。

普段は優秀な藤田牧師が説教されている教会ですから、私はイエス様の愛を頂いて愛し合いましょう、とシンプルな説教をさせていただきました。

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ランチもケーキも心がこもって美味しく、求められるままにぺらぺらとお話ししていたら、あっという間に時間が過ぎていましたよ。

他の教会に行くとなかなか帰らない牧師・・。

まだまだお話ししたかったのですが、皆さんを引き止めるわけにもいかず、またの再会を期待しつつお別れしました。

離れていても同じキリストのからだ。
幸いな交わりに感謝。
私たち一人一人の救い主となって下さったイエス・キリストを賛美します♪

では、帰りますー。

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今日の聖書/「商人たちの魔術」黙示録18章23節

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 経済都市「大バビロン」は、富と繁栄を誇りましたが、神さまの正しいさばきにより一瞬の内に滅びます。
 すべては虚構であり、虚栄だったのです。
 人々は繁栄のもたらす快楽に酔いしれましたが、それは「商人たちの魔術」にだまされていた状態だったのです。

 誘惑と刺激を絶え間なくもたらしつつ、人を快楽に依存させてお金を払わせる。そんなビジネスが社会には多くあります。
 それは魔術であり、だましごとである、と聖書はあばきます。
 何事にも裏側があり、そこでは金銭が共通言語です。
 けれどいつか、神さまの光がすべてを明るみに出すのです。

 あなたの心をとりこにしているものはなんですか?
 あなたの余暇は何に費やされていますか?
 人は神に似せて造られました。
 祈る時間、もの思う時間、学ぶ時間、何かを作り出す時間、誰かのために費やす時間を、だましごとのために奪われてはなりません。

「こうしてあなたがたは、
 地上の残された時を、
 もはや人間の欲望のためではなく、
 神のみこころのために過ごすようになるのです。」
   第1ペテロ4章2節

今日の聖書/「不品行のぶどう酒に酔う」黙示録17章2節

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 大淫婦と呼ばれる世界的経済都市のさばきについての預言です。
 これがすでに存在している都市のことなのか、これから現れる都市のことなのかは定かではありません。
 しかし、高度な経済システムの中で、人々が不品行のぶどう酒に酔う時代である、という点では現代の諸相と重なります。
 人々は金銭や余暇を、何に消費し、また何に依存し、そしてどのように心を汚していることでしょう。

 むさぼりと肉の欲に支配されているとき、人は快感を覚え、自制心を失い、そして後ろめたさを感じ続けます。
 しかし、さばきは確実に近づいているのです。

 私たちはみな罪人です。
 しかし、イエス・キリストには常に赦しと自由があります。
 神の光の中に誰もが招かれています。
 私もまた、いつもそこで喜ぶ者であらせてください。

「幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。
 主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。」
  詩篇89:15

ミニレター「For You」9月号

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今日の聖書/「見よ。わたしは盗人のように来る。」黙示録16章15節

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 最後のさばきのさなかにあって、それでも世の人々は悔い改めようとせず、ますます末期的な様相を呈することが預言されています。
 そこにヨハネは、かつてキリストが語られたことばを挿入しています。

 聖書の預言通り、世界が終わりに向かっていることに気づいたなら、すみやかにイエス・キリストに立ち返るべきです。
 現実を見ようとせず、罪のやみにさまようべきではありません。
 神のさばきに対して、自己中心な対抗を試みるべきでもありません。
 人はみな無力な罪人であり、十字架の救いははるか昔から人類に提示され続けています。

 今は救いを求める時です。
 魂の休みを得て今を生き、死の向こう側にある望みを告白する生涯を、神は必ず与えてくださいます。

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。
 いや、一つだけです。」ルカ10章42節