月別アーカイブ: 2014年5月

<関係者用メモ>PM4:30 賛美練習ファイル

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今日の聖書/「ああ、福音の輝き」ガラテヤ書2章16節

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 一日一章ではもったいない気になることが多いです。何日もかけてじっくり味わいたい、そんな思いにさせられます。
 聖書とはなんと驚くべき味わい深い書物なのでしょう・・。

 キリストの十字架の赦しを信じる者は、神の目の前に義と認められて生きることができる・・。
 その清々しさと希望。
 パウロはこの福音(良い知らせ)の喜びをまっすぐに書き記しています。
 この喜びは誰にも奪うことはできませんし、そして誰でもこの喜びを得ることができるのです。

 永遠の神の前を、賛美をしつつまっすぐに歩ける。
 今日という一日を感謝します。

「私はキリストとともに十字架につけられました。
 もはや私が生きているのではなく、
 キリストが私のうちに生きておられるのです。
 いま私が肉にあって生きているのは、
 私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
 神の御子を信じる信仰によっているのです。」
  ガラテヤ書2章20節

今日の聖書/「誰の心を意識していますか?」ガラテヤ人への手紙 1章10節

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 誰に気に入られたいと思っていますか?
 誰に嫌われなくない、と意識していますか?
 あなたの心を占めているのは誰ですか?

 パウロはキリストの心を一番に意識していました。
 なぜなら彼は、キリストのしもべであったからです。

 一日の内にさまざまな人に出会い、さまざまなお話を伺う私にとって、朝の神さまとの時間はもっとも重要なひとときです。
 神さまのしもべとして、神さまを喜ばせるための私であることを確認する時間だからです。

 人を喜ばせることを最優先にするなら、その人のしもべです。
 その人のしもべになったら、その人を救うことはできません。
 愛するのなら、支配されないことです。

 真にお仕えするべき方と出会えたことを感謝します。
 あらゆる計算も、欲望も、不安要因も混ざらない、十字架の愛のキリストが私との永遠の交わりを喜んでくださることに、今朝も感謝します。

「どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
 恵みと平安があなたがたの上にありますように。」
1:3

今日の聖書/「真理のためなら、何でもできるのです」コリント人への手紙第2 13章8節

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 日々のあれこれに追われるときに、気づけば空回りをしていた、ということが少なくありません。
 ただ焦っていただけで、何も生み出さず、かえってまわりに迷惑をかけていただけ・・というようなことが。

 大切な事は、誰と共に自分は立っているか、です。
 神のみこころに従っているなら、無為な一日を過ごすことはありません。
 労苦の道筋を振り返ると多くの芽生えを見ることができるでしょう。
 目先の幻影に惑わされて、右も左も選択できずに時間だけが過ぎていくこともないでしょう。

 イエス・キリストは、十字架への道筋を一筋に歩まれました。人類の誰も歩んだことのない道を、真っ直ぐに。
 真理を握っていたからです。
 その真理とは、愛です。

 神の与えるみことばに従うときに、これが道であるという確信と平安の中、手応えのある一歩一歩をすすめることができます。

 主よ。あなたの御顔の光の中を、歩めることを感謝します。

「幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。
 主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。」
   詩篇89:15

「どうやって直すのか分からないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。」1992年地球サミットでの12才のセヴァン・スズキのスピーチ

今日の聖書/「肉体のとげに勝る恵み」コリント人への手紙第2 12章7節

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 有名なパウロの「肉体のとげ」についての記述です。
 彼には深刻な持病があり、それは祈っても癒されることはなかったのです。
 このところからクリスチャンであってもすべての病が癒されるわけではない、ということを知ることができます。

 しかし文脈を読むと、パウロが強調したいのは「とげ」ではなくて恵みであったことが分かります。
 パウロは神さまからのすばらしい啓示を頂きました。それは神からの特別なことばであり、恵みの経験でした。
 そのことでパウロが高ぶることが無いように、ととげは与えられたのです。
 それはつまり、そのとげが無ければ恵みのすばらしさのあまりに高ぶってしまうほどのすばらしい取り扱いを頂いた、ということです。

 着目されるべきなのはとげではなくて恵みです。
 どれほどの素晴らしい喜びの中に、クリスチャンは置かれていることでしょう・・。
 いつでも祈りの中で神の御前に立てるということは、何という恵みでしょう、みことばから主のみこころを味わえることは・・。

 神さまが苦痛を備えるときには、必ずそれ以上の恵みがあることを改めて思わされます。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。」
詩篇119:71