月別アーカイブ: 2014年4月

今日の聖書/「サタンを踏み砕く子どもたち」ローマ人への手紙16章20節

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 どんな誘惑も、狡猾な罠も、神の子どもたちは切り抜けることができます。
 巧言に隠された分裂も見逃さず、邪まな策略もはねのけて、平和をもたらすことができます。
 なぜなら彼らは、サタンをも踏み砕くために召されたのですから。

 大切な事は、純真に神の愛とことばを受け止めることです。
 そこにあるきよさと正しさは、悪魔をもっともたじろがせるものです。

 イエス・キリストの十字架の愛は、私たちにあのいにしえの約束の成就をもたらしてくれたのです。

「神である主は蛇に仰せられた。
『おまえが、こんな事をしたので、
 おまえは、あらゆる家畜、
 あらゆる野の獣よりものろわれる。
 おまえは、一生、腹ばいで歩き、
 ちりを食べなければならない。
 わたしは、おまえと女との間に、
 また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
 敵意を置く。
 彼は、おまえの頭を踏み砕き、
 おまえは、彼のかかとにかみつく。』」
   創世記3:14-15

今日の聖書/「善意と知恵にあふれた者にさせて頂ける・・」ローマ人への手紙15章14節

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 愛を説く立場でありながら、愛の無さを覚えることの多い私です。
 しかし、聖書はこんな私も愛の人として成熟できる、と約束してくれています。

 聖書が約束しているということは、必ず実現する、ということです。
 イエス・キリストの十字架に表れているように、聖書の約束は、それがいかに途方も無いように思えても完了するのですから。

 私が、そして私たちが善意と知恵にあふれ、互いに訓戒しあう愛の交わりを持つことは、キリストご自身が切に願われていることです。

 主よ、どうぞお言葉通りこの身になりますように。
 愛の中の充足へと、献げる喜びへとお導きください。

「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、
 生きている人々が、もはや自分のためにではなく、
 自分のために死んでよみがえった方のために
 生きるためなのです。」第2コリント5:15

今日の聖書/「愛は、さばくなという以上に、さばく罪を犯させるなと言う。」ローマ14章13節

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 人は弱い存在です。
 ですからついつい人をさばいてしまいます。
 神さまがとてもそれを厭われるのに。

 イエス・キリストは、ひとりひとりのために十字架に架かってくださいました。
 私もみな、もまた赦された罪人に過ぎません。
 なのに人をさばくということは、実は陳腐なことです・・。
 さばいてはならない、というのは当たり前の命令です。

 真の愛は、「さばくな」という以上に「さばかせるな」と命じます。
 誰かを私につまずかせ、さばく罪を犯させないように、ということです。
 クリスチャンは何をしてもいい自由があります。しかし、だからと言って権利を主張して個性を回りに押し付ければよいというものではありません。
 愛は礼節を重んじますし、配慮を忘れません。
 「いや、それ以上に」ということば、そして「決心しなさい」という言い回しが心に残ります。

 私は・・・。
 主よ、私もまた与えられた自由の中で、誰かに私をさばかせるような言動を行ってはいないでしょうか。
 どうぞ、お取り扱い下さい。
 あなたの子どもらしく、変え続けてください。

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。
 私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、
 私をとこしえの道に導いてください。」
  詩篇139篇23-24節

2014年4月27日山陽教会主日礼拝説教 「御腕の中で」ヨハネの福音書 10章19-30節

■宣教:ヨハネの福音書 10章19-30節
   「御腕の中で」

●礼拝録画


Video streaming by Ustream

●メッセージ音声録音⇒こちらです。

今日の聖書/「関係を完全にするもの ー愛ー」ローマ人への手紙13章10節

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 結局のところ、愛が動機にあるかどうか、なのです。
 愛が動機になければ、どんな行為を他者に示したとしても、そこには自己中心が入り込むのです。
 愛が動機にあれば、その言動は実を結びます。

 キリストは愛のみを根拠として生きられました。
 だからこそ多くの人の救いとなられました。

 私も、ただこの愛によって救われたものです。
 私のことばと行いもまた、愛を源としたものでありますように。

「また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、
 また私のからだを焼かれるために渡しても、
 愛がなければ、何の役にも立ちません。」
   第1コリント13章3節

今日の聖書/「ひとりひとり互いに器官なのです」ローマ人への手紙12章5節

ローマ12章
3節
 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。
 だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。
4節
 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
5節
 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

 教会はキリストの体である、と記されています。
 その意味は、ひとりひとりがキリストとの絆により、互いが各器官としてつながりあっていく交わりである、ということです。

 ひとりひとりの存在に必然性があり、役割があります。
 それは人体の各器官の驚くべき相互作用と同じです。
 支え合い、活かしあう信仰共同体なのです。

 互いを尊敬し、またつながりを深めていくこと。
 それをキリストは教会に望んでおられるのです。

「しかし、もし神が光の中におられるように、
 私たちも光の中を歩んでいるなら、
 私たちは互いに交わりを保ち、
 御子イエスの血はすべての罪から
 私たちをきよめます。」
  第一ヨハネ1:7