月別アーカイブ: 2014年3月

今日の聖書/「賞賛と迫害の中で」使徒の働き14章19節

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 伝道旅行を行っていたパウロたちは、極端な二つの温度の中に身を置いていました。
 熱狂的な賞賛と、いのちも奪われかねない迫害です。

 ルステラという町では、人々が使徒たちを神格化して崇めようとまでした記事の直後に、石打ちの私刑にさらされています。

 ここで注目したいのは、パウロ達の見つめていたものです。
 彼らは人々の賞賛に舞い上がることもなければ、迫害に怯えることもありません。
 彼らは一貫して、救い主であるイエス・キリストを見つめていました。

 イエス・キリストもまた、賞賛と迫害のただ中で、ただ人々の救いのための十字架を見つめて歩んだのです。
 人からの評価に一喜一憂しやすい私たちですが、そういった浮き沈みに支配されない生き方をキリストは教えてくれています。

 もし私たちが人々の生涯の祝福に貢献したいのなら、少なくとも他者からの評価に左右されない者であるべきでしょう。

「しかし、上からの知恵は、
 第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、
 また、あわれみと良い実とに満ち、
 えこひいきがなく、見せかけのないものです。
 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって
 平和のうちに蒔かれます。」ヤコブ3:17-18

2014年3月30日山陽教会主日礼拝説教 「キリストとの呼応」ヨハネの福音書10章1-6節

■宣教:ヨハネの福音書10章1-6節
   「キリストとの呼応」

●礼拝録画


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●メッセージ音声録音⇒こちらです。

今日の聖書/「キリスト中心のメッセージ」使徒の働き13章42節

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 良い説教とはなんなのか・・、牧師はいつもそれを考えます。
 パウロが、ピシデヤのアンテオケにあるユダヤ人会堂で最初の説教をした時、人々は大変喜んで来週も同じことについて話してほしいと頼んだ、とあります。
 この時のパウロの話した内容は、旧約聖書を土台とした上で一貫してイエス・キリストの十字架と復活を指し示すものでした。
 人々はイエス・キリストによってもたらされた救いをこそ欲していたのです。
 なぜならば、この方以外に救いは無いのですから。
 
 神の恵みはキリストによって明らかにされました。
 主よ、私がこれからの生涯する数千回の説教において、一度たりともキリスト抜きの話をすることがありませんように。
 「わたしの伝えたいこと」のために「キリストを伝えるためのメッセージ」を台無しにすることがありませんように。

 あわれみ、きよめ、満たしてお用いください。

「夢を見る預言者は夢を述べるがよい。
 しかし、わたしのことばを聞く者は、
 わたしのことばを忠実に語らなければならない。
 麦はわらと何のかかわりがあろうか。
 −−主の御告げ−−」エレミヤ23:28

今日の聖書/「光と解放」使徒の働き12章7節

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 神さまについて、聖書は神は「光」であると伝えます。
 この場合の光は、私たちが普段経験する光と同じ光ではありません。

 なぜなら、自然界の光は神さまが造られた被造物としての光なのですから。
 神が光である、という場合は光以上の光、を表します。

 パウロがかつて光のなかでイエス・キリストに出会った時「太陽よりも明るく輝い」ていたと証言したのも印象的です。

 神との出会いは光との出会いです。
 人は神と出会うことで、心を照らされ、自分を理解します。
 神と出会うことでぬくもりを味わいます。
 神と出会うことで歩むべき道を知ります。

 そして神の光は、私たちを開放するのです。
 私たちを束縛するいっさいのものから。
 私はかつて、孤独に支配されていました。
 孤独感がぬぐえず、それを自分ではどうすることもできず、さらに孤独になる方向に行動してしまうのです。

 しかし、神との出会いは孤独の鎖から私を解放したのです。
 神のもたらした光、それは「まことの愛」でした。

「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。
 これが、私たちがキリストから聞いて、
 あなたがたに伝える知らせです。」第1ヨハネ1:5

YBA春キャンプ終了♪

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 高3生たちが卒業ということで、記念品をくれましたよ。
 普通はキャンプリーダーの方から、何かプレゼントするもののような・・。
 
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 あるキャンパー曰く。
 「Stephanは、しっかりした人たちが周りに集まる賜物があるよね」
 とのこと。

 卒業生たち(+α)と。
 この子たち、最高なのです。
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今日の聖書/「沈黙と賛美」使徒の働き11章18節

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 イエス・キリストの救いの知らせが、ユダヤ人だけでなくギリシャ人にももたらされたこと、それは根強いユダヤ選民意識の中で育ったユダヤ人クリスチャンたちにとっては受け止めがたいことでした。
 しかしペテロが事柄のあらまし(10章)を説明した時、彼らは沈黙し、そして神を褒めたたえたのです。

 彼らはその沈黙の中で、神がすべての民族を救おうとされているその愛の大きさを受け入れたのです。ユダヤ人以外のためにもキリストは十字架に架かられたと考える方が、聖書のことばとキリストの生き様と整合することを彼らが受け入れた時、心からの喜びを彼らは感じたのです。
 彼らは確信に満ちたクリスチャンでしたが、彼らの信仰は排他的な頑強さではなく、教えられやすい柔らかな知性を生み出していたのです。

 どうとらえていいか分からない出来事が起きた時、神の前に沈黙することが大切であることをここから学ばされます。
 そして聖書が語ることに耳を傾け、自分のこだわりではなく、神のみことばの深さとその愛の大きさに目を向けるべきです。
 そのとき人は、さらに大きな神をほめたたえることになります。

 主よ、私に健全な沈黙をお与え下さい。
 あなたの愛とみことばを思いめぐらすひとときを。

「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。」 詩篇1:2-3