月別アーカイブ: 2014年1月

今日の聖書/「あれほど大きな石だったのに」マルコの福音書16章4節

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 イエス・キリストの復活の朝、女の弟子たちは危険を省みず、イエス様の墓へ急ぎました。
 遺体に香油を塗りたい、と願ったのです。
 しかし、墓の蓋をする大きな石をどうしたらよいものか、とも思っていました。

 けれど、その心配は無用でした。
 イエス・キリストは死から復活しており、石も取りのけられていました。すべては、あらかじめ約束されていたとおりだったのです。

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 こんな大きな石をどうしたらいいのだろう・・と悩む時が、私たちにもあります。
 超えられないハードルを感じたり、人間関係に横たわる重たい課題であったり。
 しかし、神さまはどんな石をも取り除けることのできるお方です。
 人間にとってもっとも大きな重荷である、罪と死をも乗り越えたイエス・キリストが、共にいてくださいます。
 どんな障壁があろうとも、希望の夜明けを期待しながら、今日も大胆に歩みたいと願います。

「主ご自身があなたの先に進まれる。
 主があなたとともにおられる。
 主はあなたを見放さず、
 あなたを見捨てない。
 恐れてはならない。
 おののいてはならない。」
  申命記31章8節

<お知らせ> 2/16 Sun. テニスします〜。

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今日の聖書/「黙っているのに時がある」マルコの福音書15章5節

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 イエス・キリストを十字架に架けるためのユダヤ人達の計画も、最終段階になっていました。
 当時ローマの属国であったイスラエルでは、ローマ総督ピラトの許可がなければ死刑は実行出来なかったのです。

 ピラトはイエス・キリストを尋問して、彼が無罪であることが分かりました。
 しかし、ユダヤ人達の圧力に屈して、イエス様の死刑を許可します。

 5節では、イエス様がもはや一言も答えなかった、と記されています。
 福音書を読んできた方はおわかりだと思いますが、イエス・キリストの生涯は、十字架に架かるための生涯でした。
 その流れが決まった以上、あとは黙っていれば良かったのです。
 川を下る舟は、流れに乗れば漕ぐ必要はありません。
 すべては、神の計画通りに運んでいました。

 驚いたのはピラトです。
 今まで出会ったどんな罪人も、命乞いをし、弁明をしたでしょう。
 しかし、イエス様は静かに、満たされた死刑囚でした。

 驚くべきことは、イエス様にとって、待ち受ける十字架の苦痛よりも、私たちの救いという目的の方が、ずっと大事だったという事実です。
 キリストの沈黙は、どんなことばよりも雄弁に、救い主の生き様を教えてくれます。

「黙っているのに時があり、
 話をするのに時がある。」
   伝道者の書3章7節

今日の聖書/「キリストの“時”」マルコの福音書14章41節

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 福音書において、イエス様が「わたしの時はまだ来ていない」と何度か言われています。
 しかし、今日の箇所ではついに、「時が来ました」と語られました。
 それは、「罪人たちの手に渡され」る時であり、十字架の時です。

 イエス・キリストは、十字架に架かるために来られ、その“時”を目指して生きられた方であることが、福音書における“時”ということばから分かります。
 私たちを救うこと、それがいつもイエス・キリストの目的なのです。その生涯の根底に流れるのは、神の永遠の愛でした。鞭打たれ、弟子たちに裏切られ、十字架に釘付けられる“時”をも、キリストは受け入れ、達成されました。私たちへの愛のゆえに。

 主よ、私に与えられた今日という“時”をあなたと共に生きるために使わせて下さい。
 あなたが誰かを救うために。

「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、
 別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。
 しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。
 あなたがこの王国に来たのは、
 もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
   エステル記4章14節

[教えて!牧師さん] 「気力を振り絞って頑張らなければいけない時のためのみことばは?」

お名前: ニフドンシ
内容:

 牧師さま、こんばんは。
 いつもブログを楽しみにしています。
 このブログを見るとほっとします。

 私は今、とても心が疲れ切っています。
 でも、同時に、人生で一番頑張らなければならない時期でもあるのです。
 だから、気力を振り絞って頑張らなければいけません。
 牧師さま、こんな状況に置かれた人間にぴったりのみ言葉をお教えください!
 いざという時に踏ん張れるみ言葉をぜひお教えください!

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 ニフドンシさんこんにちは。
 とても心が疲れきっているのに、頑張らなくてはならないのですね・・。
 どんなに苦しいことでしょう。

 聖書の中に励ましのことばや慰めのことばはたくさんありますが、2つ紹介いたしますね。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
 わたしのところに来なさい。
 わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11:28

 これは、イエス・キリストから、すべての疲れた人への招きです。
 イエス・キリストとの交わりを持つ時、人は心に安らぎを得ることができます。
 キリストはどのようにして、疲れた人を休ませるのでしょうか。
 それは、キリスト自らが共にいることによって休ませるのです。
 「わたしがあなたがたを休ませてあげます」と書いてあるとおりです。

 ニフドンシさんが、「◯◯という重荷があります。※※で疲れています・・」と告白して祈る時、キリストがニフドンシさんと一緒に居て下さり、すべてを受け止めてくださいます。
 ニフドンシさんは、ひとりではありません。

 もう一つのみことばは、こちらです。

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」詩篇46:10

 こちらは、昔の文語訳ではこんな訳です。
 「汝ら静まりて我の神たるを知れ」
 やめよ、というのは今している事をやめなさい、というよりも、「静まりて」と訳されているように、はりつめることをやめよ、というような意味です。
 事を達成するのは神さまです。自分が頑張らねば、というこだわりを捨てて、神さまのみ心ならばさせて頂ける、と気持ちを切り替えるとき、神さまからの平安が私たちを支えてくれます。

 私は牧師ですが、時々、心身の限界を味わうような状況を通ることがあります。
 しかし、そんな時は大体、「私は牧師なんだからがんばらねば・・」と私に目が向いているのです。
 でも、聖書で「大牧者」と言うとイエス様のことなんですよね。
 本当に信徒さんたちを守り導くのは、イエス・キリストご自身であり、私はその方に用いられている者なのです。
 そんな風に思えるとき、ふっと気持ちが楽になり自然体でなすべきことをさせて頂けたりします。

 ニフドンシさんは、今とっても厳しいタイミングなのですね。
 どうぞ疲れきってしまうことがありませんように、と祈らせて頂きました。

 またいつでもご質問ください。

今日の聖書/「神のことばの永続性」マルコの福音書13章31節

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 決して変わらないものを、私たちは求めます。
 しかし、すべてのものは移り変わり、生気を失い、また消滅します。
 この地球を含む天体にすら、老化と寿命があるのです。

 しかし、とキリストは宣言されました。
 「わたしのことばは決して滅びることがありません。」と。
 確かに、歴史の中で聖書は変わることなく人々を救い続けています。

 樹齢千年を超える屋久杉で有名な屋久島で、私は縄文杉という大木のそばにテントを貼りました。
 その朝は縄文杉の真ん前で、一人聖書を読んでいました。
 縄文杉の樹齢は、2700年と言われています。
 そして私がその朝読んでいたレビ記という旧約聖書の書物は、3000年以上前に書かれたものです。
 縄文杉よりも、ずっと古い書物が、今も私に生きて語られているのか・・と改めて聖書の不変性を思ったことでした。

 これからも時代は変わり続けます。
 しかし、みことばの輝きが曇ることはないでしょう。
 主よ。あなたのことばを求める一人ひとりに、どうぞお語り下さい。

「初めに、ことばがあった。
 ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
  ヨハネ1章1節