カテゴリー別アーカイブ: 箴言

今日の聖書/「ほんとうに綺麗な人」箴言31章30節

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 人はうわべを見るものです。
 しかし、神さまは心をご覧になります。

 外見を飾ることはできても、心をきよめることはできません。
 それは、神さまのわざです。
 鏡の前でどんなに念入りに自分を飾っても、生き方の美しさは生まれません。
 心の真実こそが、いつまでも残ります。

 女であっても、男であっても。
 キリストの愛を受け、愛に応えて生きようと願うなら、その人はキリストに似せられていくのです。

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、
 鏡のように主の栄光を反映させながら、
 栄光から栄光へと、主と同じかたちに
 姿を変えられて行きます。
 これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
    コリント人への手紙第2 3章18節

今日の聖書/「貧しさも富も私に与えず」箴言30章8節

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 豊かさとは、お金をたくさん持つことではありません。
 お金に縛られない心の自由です。

 神さま、貧しさからも富からもお守りください。
 与えられているものに感謝しつつ、あなたにゆだねきって生きる者とさせてください。

「金銭を愛する生活をしてはいけません。
 いま持っているもので満足しなさい。
 主ご自身がこう言われるのです。
 『わたしは決してあなたを離れず、
  また、あなたを捨てない。』」
   ヘブル13:5

今日の聖書/「人を恐れるとわなにかかる」箴言29章25節

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 人の顔色を伺うとき、わたしたちの心はその人に支配されています。
 そして、たいがいの場合、よけい不自由な関係になっていきます。

 人を恐れるのではなく、主に信頼せよ、と聖書は教えます。
 神さまがともにいてくださる、そのことを一番のよりどころにすることです。そして、人に嫌われることを恐れないで、正しいと思える言動につとめることです。

 人を恐れない、ということは、人を見下すということでは断じてありません。
 人を恐れない、というのはその人を愛するための第一歩なのです。
 愛には恐れはありません。だからこそ、心を開いて近づいていくことができるのです。

 イエス・キリストは、誰のことも恐れませんでした。
 ただ、愛されたのです。
 そのキリストの愛が、私たちに勇気を与えてくれるのです。

「愛には恐れがありません。
 全き愛は恐れを締め出します。
 なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。
 恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」
   第1ヨハネ4章18節

今日の聖書/「弱い人たちばかりなのだから」箴言28章21節

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 本当に信頼できる人たちを幾人も知っています。
 しかし、だからといって自分の心の拠り所にしてはなりません。
 「人は一切れのパンで、そむく」ということばは、冷たいようですが真実でしょう。

 どんなに誠実で、気品ある人ですら、本当に飢え渇いたらあさましい行動を取るのでしょう。
 それが、人間の弱さです。
 そんな弱さも含めて、人を愛することが重要なのです。

 「いい子だね」とほめられ続ける子が、「いい子でいなくては」というプレッシャーに苦しみ続ける、ということが時としてあります。
 この場合、ほめことばは暴力です。
 私たちは、神以外に心の拠り所を持つべきではありません。完全な人間はいません。人を拠り所にすると、お互いに苦しめ合うことになるでしょう。

 「裏切られるのは、真の関係ではないからだ」と言う人もあるでしょう。
 しかし、イエス・キリストですら弟子たちに裏切られ、見捨てられました。イエス様に人徳が無かったからだ、とは誰も言えないでしょう。
 イエス様は弟子たちをしがらみで縛ることをせず、弱さもまた受け入れられたのです。そこに本当の愛があります。

 私たちの心は、キリストの完全な愛によって強力に支えられます。
 そこに両足を置いて、他の何者にも依存せずに立つことが、心の自立と言えるでしょう。

「見なさい。あなたがたが散らされて、
 それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。
 いや、すでに来ています。
 しかし、わたしはひとりではありません。
 父がわたしといっしょにおられるからです。」
   ヨハネ16:32

今日の聖書/「羊の様子を良く知ること」箴言27章23節

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 かつては巡回伝道者にあこがれました。
 町々をめぐり、教会をめぐって伝道説教をしてまわる人です。
 しかし神さまは、私を牧会者に召されました。教会に仕え、教会のひとりひとりと共に歩む働きです。

 牧師というギリシャ語は直訳は「羊飼い」です。
 イエス様から託された一つ一つの魂に関わり続ける働きです。
 「あなたの羊の様子をよく知りなさい」と聖書は教えてくれています。
 それは、決して容易いことではありません。
 幸いなことに山陽教会は少しずつ群れが増えています。
 けれどそれは、ひとりひとりとの関わりが物理的に困難になる、ということです。

 駆け出しの頃は、教会の全員と週に一度はお話ができました。
 信徒さん宅に頻繁に電話もかけたものです。
 それぞれの家族の様子もつぶさに把握していました。
 そんな牧会が、もうできないのは、正直寂しいものです。
 
 ですが聖書は、「群れに心を留めよ」と言われます。
 ならば、やはりこの一事に励むべきでしょう。
 つまり、羊以外のことは切り捨てることです。
 私は牧師に召されたのですから。

 きっとどんなに他の事柄を切り捨てても、教会の全員に目を配ることは出来ないはずです。
 ただ、本当に幸いな事に、教会の真の牧者はイエス・キリストです。
 イエス様が働かれるわざのなかに、小さな私を差し出していきます。
 あなたのみ心のままに用いてください。

「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。
 強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、
 卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。」
   第1ペテロ5章2節

今日の聖書/「陰口によって争いは支えられる」箴言26章20節

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 人が集まるところには常に争いが起こりがちです。
 争いは陰口によって支えられている、と聖書は教えます。

 発端は心のなかの隠れた悪意です。
 それが口からこぼれるのが陰口です。
 陰口により、悪意は伝染します。そして、陰口を言う本人は、周囲からの信頼を失います。また、「私も陰口を言われるのだろうな」という恐れも与えます。
 こうして、集まり全体に苛立ちや不信が広がるのです。
 小さな火種が一気に燃え上がるように、あるタイミングで争いは表面化します。
 そして悪意が悪意を生んで、悪循環の中で燃え続けるのです。

 神さまが私たちにことばを与えてくださったのは、争いを生み出すためではありません。
 心にキリストの愛をいただき、良い言葉を話すなら、平和を作り、支える働きもさせていただけるのです。

「ですから、あなたがたは偽りを捨て、
 おのおの隣人に対して真実を語りなさい。
 私たちはからだの一部分として
 互いにそれぞれのものだからです。」
   エペソ4:25