カテゴリー別アーカイブ: 第2サムエル記

今日の聖書/「ただ、恵みによる」サムエル記第2 24章3節

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 ダビデは自分の繁栄の実態を把握したいと欲しました。
 しかし、そこには自分の実績へのおごりが混じっていたのでしょうか、神さまの前で深く悔い改めることになります。

 人が神さまとともに歩くなら、必ず実りは結ばれていきます。
 みことばに従い、自分中心ではなくて、神さまにお仕えしていくなら、実績は必ず与えられます。
 でも、それを人は誇るべきではありません。
 すばらしいのは神さまなのですから。
 神さまと共にある人が、良い実を結ぶのは「あたりまえ」のことなのです。「あたりまえ」のことを自分の手柄にするのは、愚かなことです。
 ダビデの愚かさに気づき、悔い改めますが、代償も支払いました。

 そんな教訓を記してサムエル記第2は終わります。

良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、
三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。
  マルコ4:20

今日の聖書/「わが家は、このように神とともにある」サムエル記第2 23章5節

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 「わが家は」というダビデの告白に心惹かれます。
 それはつまり、ダビデの全家族のことであり、ダビデの全生涯のことです。
 また、彼が王であったことを思えば、彼の家とはつまり、彼の国そのものでしょう。

 彼は、私のすべては神ととともにある、と喜んでいます。
 私の一部ではないのです。
 ある部分は神とともにあるけれど、ある部分はそうではない、ということではないのです。
 
 彼は自分の弱さも欠けもふくめて、すべてを神さまにあけわたし、「わが家」を「神の家」として生きたのです。
 神さまもそのことをよしとしてくださり、祝福してくださっています。

 私もこの生活を心から望みます。
 今朝も、私のすべてを、私の全生活を、愛なる神にゆだねます。

わたしに仕えるというのなら、
その人はわたしについて来なさい。
わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。
もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
ヨハネ12:26

今日の聖書/「広やかな安息の場所へ置かれる方」サムエル記第2 22章20節

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 イエス・キリストが私たちに与えてくださる多くの恵みの中の一つが「平安」です。
 これは、神さまとの何のわだかまりもない生活であり、明日に希望がある日々です。
 
 ダビデの賛歌がこの章には記されています。
 彼は、自分の生涯をふりかえり、つねに窮地から救い上げて下さった神をたたえています。
 絶望から助け出し、広やかな安息の場所へ置いてくださった方に。

 私もまた、同じように主に感謝します。
 まさか今のような心の平和があるとは、かつては思い描くことはできませんでした。
 しかも、私が神の前にきよい行いをしたから報酬を受けているのではないのです。罪人の私を一方的な愛でとらえてくださり、十字架の血による身代わりの救いを与えてくださいました。

 この救いの知らせを歌い、また語りながら歩めることを感謝します。

しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」
と言われた。
  マタイ14:27

今日の聖書/「主は正される方」サムエル記第2 21章2節

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 人が何かに情熱を燃やすとき、必ずしもそれは正しい方向に向かうとは限りません。
 心の方向性が真理からずれるなら、微妙な角度であったとしても、その方向に情熱を傾ける限りずれは拡大し、大きく逸脱していくことになります。
 その結果引き起こされる悪しき影響について、もはや当事者はどうすることもできなくなるものです。

 大切なことは何をするか、よりも、何を見ているか、です。
 努力すればいいというものではありません。正しい道筋を見つめているか、です。

 サウル王は自国の繁栄と民からの評価に熱心でした。
 私たちがみなそうであるように、自己保身と人の目に縛られていたのです。
 そのために、盟約を交わしていた在留異国人を殺戮しようとしたのです。

 神さまはその出来事を正すために介入されたことが、この章には書かれています。
 人間の心に生じる罪からくるずれ。そしてその結果としての社会の大きなずれ。
 神さまだけがそれを正すことができます。

 私の心を神さまに見ていただいて、実は心にひっかかっている「これって正しいことかな・・」「本当は間違っているかもしれないけれど、認めなくない・・」という思いを知っていただき、心と意志をもいやすことのできる方におゆだねしたいと思います。
 平安でなければ自由はありません。自由でなければ健康ではありません。

神よ。私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、
私をとこしえの道に導いてください。
詩篇139:23-24

今日の聖書/「中傷の報い」サムエル記第2 20章1節

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 こうしてサムエル記を読んでいて思うことは、裏切るもの、中傷するものはかならず自分で自分の首をしめる結果になる、ということです。
 神さまはすべてを見、すべてを正しく裁かれる方です。
 心に真実を持ち、神さまのことばに従って生きる人に自由と平安があるのですね。

いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、
日数の多いのを愛する人は、だれか。
あなたの舌に悪口を言わせず、
くちびるに欺きを語らせるな。
  詩篇34篇12-13節

今日の聖書/「人の歓心を買うためではなく」サムエル記第2 19章14節

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 結局イスラエルは再びダビデを王として迎えます。
 アブシャロムの謀反は失敗しました。彼が作為で得た人望は一時的なものだったのです。

 ダビデへの民の忠誠はかえって強まりました。
 それは彼が、自分のために人々の歓心を買うことをしなかったからです。
 時が良くても悪くても、神さまのみこころを求める人が、最後には大きな信頼を得ます。
 そういう人がなんと少ないことでしょう。
 そして私もまた、この点でなんと欠けの多いことでしょう。

 改めて、パウロの書いたこの一節を思い出させられます。

だれもみな自分自身のことを求めるだけで、
キリスト・イエスのことを求めてはいません。
しかし、テモテのりっぱな働きぶりは・・・
  ピリピ2:21-22