カテゴリー別アーカイブ: 第1列王記

今日の聖書/「主のみこころが私の都合と合わない時」列王記第1 22章8節

IMG_6833.PNG

 アハブ王は結局自滅します。
 彼は預言者ミカヤのことばが自分の都合と合わなかったときに、彼を退けて戦争を強行したからです。
 他のにせ預言者たちは、王の思いをくんで都合のいい預言をしました。

 主のみこころが私の都合と合わないときは、みことばを退けるのではなく私が立ち止まるべきなのです。

 島根県の伯耆大山の縦走路には縦走禁止の札が立っており、ロープが張られています。
 そこを越えて縦走を試みる人は、全責任を自分で負うことになります。
 そして、そこで遭難する人もまた必ずいるのです。

 人は人生の全責任を負うことはできません。
 ふだんから圧倒的な神の守りの中にあり、生かされている存在なのですから。
 もしも聖書が道をとどめるなら、それは絶対に従うべき愛の立入禁止なのです。

わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
  マタイ11:29

今日の聖書/「あやまった者勝ちなのですか!?」列王記第1 21章27節

IMG_6818.PNG
 この章でも北イスラエルのアハブ王の悪行が記されています。
 彼らは夫婦で悪政を行い続けました。
 ついに、預言者エリヤから裁きの通告が伝えられます。
 これでアハブ王も終わりだな、と思って読み進めると、アハブは悔い改めて、うちしおれて歩くのです。

 そして、驚いたことに神さまはそのアハブを見て、災いを下すことをやめるのです。
 「謝れば、それでいいんですか!?」と言いたくなります。

 しかし、謝ればいいのです。
 それが、聖書が与える救いの事実です。

 イエス・キリストは全人類の罪のために十字架に架かられました。
 悔い改めて、罪を告白するなら、その罪は赦されるのです。
 いや、それ以外に人が罪を赦され、裁きを免れる道はありません。

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、
すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
第1ヨハネ1:9

今日の聖書/「見放すことをされない神」列王記第1 20章13節

IMG_6811.PNG
 アハブ王は神さまに背き、国を間違った方向に導いた王です。
 しかし、それでも神さまはアラム軍との戦いにおいてアハブ王とイスラエルを守られます。

 親が子を見放すことがないように、神さまもその民を見放すことをされません。
 人がいちど心でキリストを信じたなら、その人がキリストを忘れても、キリストはその人を忘れません。

私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。
彼にはご自身を否むことができないからである。
  第2テモテ 2:13

今日の聖書/「燃え尽きた預言者」列王記第1 19章6節

IMG_6801.PNG
 エリヤは前章で、人生のクライマックスとも言える「カルメル山上の対決」を果たしました。
 しかし、王妃イゼベルは激怒しエリヤ抹殺命令を出します。

 そんな中エリヤは精魂尽き果てて、ついに荒野に身を投げ出し死を願います。
 燃え尽きたのです。

 しかし、神さまは彼にすばらしいケアをされています。

 ・休息を十分に与えました。
 ・ことばで語りかけてくださいました。
 ・新しい仕事を与えました。
 ・後継者を与えました。
 ・彼が一人ではなく、実は多くの助け手が用意されていることを教えました。

 「私一人が労苦している!」と思うとき、人は疲れ果ててしまいます。
 しかし、神さまはいつも共にいて、わたしたち一人ひとりをねんごろに支え、用いてくださるお方です。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
   マタイ11:28

今日の聖書/「かくわまれる時、身をさらす時」列王記第1 18章15節

IMG_6798.PNG
 神さまには神さまの時があります。
 預言者エリヤは、神さまによってアハブ王からかくまわれていました。
 アハブ王が彼を殺そうとどれほど探しても、見つけることはできませんでした。

 けれど今、エリヤはアハブの前に姿を現しました。
 逃げも隠れもせず、たった一人で王と対峙したのです。そしてそれは、偶像バアルの預言者450人との対決をも意味しました。
 
 かくまわれる時もあれば、危険の中に身をさらす時もある。
 しかし、どちらにせよ神さまが共におられるという意味では、何一つ変わりはないのです。

 今の安全に固執することは、実は危険なことなのかもしれません。

 今日を生き、明日をゆだねて、どんな時も主に信頼する。そんな歩みをさせてください。

イエスはこれらのことを話してから、
目を天に向けて、言われた。
「父よ。時が来ました。
 あなたの子があなたの栄光を現すために、
 子の栄光を現してください。」
  ヨハネ17:1

今日の聖書/「試される預言者」列王記第1 17章20節

IMG_6791.PNG
 エリヤは旧約聖書を代表する預言者の一人です。
 彼は神さまのことばに忠実に生きましたが、それは順調な生涯とは程遠いものでした。
 彼はいつも困難に出会い、「なんでこんなことに・・」という事態に直面させられます。

 しかし、その都度神さまに祈り、与えられることばに従い、結果として思いもかけない神さまのみわざを見るのです。

 今日の箇所ではエリヤが身を寄せた家の子どもが突然死します。
 ここではその母親が取り乱していることが記されていますが、エリヤ自身の信仰もまた大いに試みられていたでしょう。

 エリヤはこの後、偶像礼拝を推奨するアハブ王・イゼベル夫妻と対決をすることになっています。
 その前に、神さまは彼の信仰を整え、まったく神のみことばにより頼む者とするために、このような経験を与えたのでしょう。

 クリスチャンは神さまの祝福の中を歩みますが、時として「どうしてこんなことが・・」という事態も起こります。
 しかし、その時にみことばを握りしめて祈るなら、思いもかけない道が開かれます。
 それは、神さまの栄光を見るチャンスなのです。

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、
それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、
あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、
成長を遂げた、完全な者となります。
 ヤコブ1:2-4