カテゴリー別アーカイブ: 第1サムエル記

今日の聖書/「自分のいのちにこだわってみても」サムエル記第1 31章4節

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 サウル王は、自分のいのち、評判、権力に固執するあまり、誠実なダビデを妬んで排除しようとしました。
 しかし、結果的に悲惨な最期を迎えます。

 自分のいのちに執着したのに、自分でいのちを絶たなくてはなりませんでした。

 人は、どんなに自分のいのちにこだわってみても、それを守り切ることはできません。
 私たちは生きているのではなく、生かされているのですから。
 いのちを与えてくださった神さまに、大切なことは全部、おゆだねすることです。
 
 イエス・キリストは、神であられるのにご自分のいのちを捨てて、十字架にかかってくださいました。
 この方は、いのちを与えることのできるかたであり、死後の復活を約束してくださる方です。
 また、地上での生涯において、生きるべき歩みを示して、実りある生活を与えてくださいます。
 この方とのつながりを守り、そのみことばを守ることは、自己の保身に生きるよりも、ずっと自由で希望があります。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、
わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。
人は、たとい全世界を手に入れても、
自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。
 ルカ9:24-25

今日の聖書/「主によって奮い立つ」サムエル記第1 30章6節

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 味方と戦う、というピンチを逃れたダビデでしたが、自分たちの町に帰った時、大変な事態になっていました。
 アマレク人が町を襲い、女子供もろとも略奪したあとだったのです。

 絶望的な状況でしたし、内乱も起きそうな事態でしたが、ダビデは主によって奮い立ったと記されています。
 どんな過酷な状況も、ダビデとその信仰を打ち負かすことはできませんでした。

 人の真の強さはその能力や武器によるのではなく、その人と神さまとの絆の強さによるのです。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、
豊かさの中にいる道も知っています。
また、飽くことにも飢えることにも、
富むことにも乏しいことにも、
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、
どんなことでもできるのです。
  ピリピ4:12-13

今日の聖書/「好かれたり、嫌われたりしながら」サムエル記第1 29章9節

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 ダビデのピンチを救ったのは、ダビデを疑うペリシテの領主たちでした。
 彼らは、イスラエルとの戦陣の中に、イスラエルの勇者ダビデが友軍としてつくことを好みませんでした。
 ペリシテのアキシュ王は、ダビデを信頼しましたが、皆がそうであったわけではありません。

 結果的にダビデはイスラエルと戦うという、絶対に避けたい状況から逃れることができました。

 ダビデはサウルに憎まれ、ヨナタンに愛されました。
 ペリシテの王に信頼され、領主達からは疑われました。

 好かれたり、嫌われたりしつつも、彼の歩みは神さまの計画の中を真っ直ぐに導かれていきます。

 人からの好意、あるいは悪感情、そのどちらにも心を奪われる必要はありません。
 人に対しては誠実であるべきです。しかし、何よりも神さまの前に自分はどうか、ということが重要です。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから
目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されました。
  ヘブル12:2

今日の聖書/「え・・なんでこういう展開に!」サムエル記第1 28章1節

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 ダビデがもっとも恐れていたであろう事態が起こります。
 彼は大胆にも敵国のペリシテに逃れて生活していましたが、そのペリシテと愛するイスラエルが戦争することになり、ペリシテの王はダビデを出陣させたのです。

 これはつまり、二度とイスラエルには帰れない、ということです。
 あるいは、ダビデのイスラエルへの忠誠が知られて、ペリシテ人から殺されることになるかもしれません。

 ダビデはサウル王の殺意から逃れているのであって、心は神とその民に深く結びついていました。
 彼にとっては絶体絶命のピンチです。

 一方で、この章ではサウル王が戦争における敗北の預言を聞かされたことが記されています。
 ということは、ダビデは今まで避けてきたサウルへの復讐を、結局は自らの剣によって行うことになるのでしょうか?

 「いったいこれ、どうなるの!?」という展開の章です。

 神さまの御手の中では、私たちが思いもかけなかったことが起こり、最悪にも見える方向へ物事が進んでいきます。
 しかし、次のページをめくる時、「そんな方法が・・」というストーリーが用意されているのです。

神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。
  ピリピ2:13-14

今日の聖書/「生きる力」サムエル記第1 27章1節

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 ダビデは、イスラエルの中には安全はないことを悟ります。
 妬みに駆られたサウル王の殺意は偏執的でした。

 それでもダビデは生きる努力を怠りません。
 なんと彼は敵国に住むことを決意します。
 知恵を尽くし、ペリシテの王アキシュをだまして、信頼を得て敵国内に住んだのです。

 ダビデは、イスラエルの王となるように神さまに召された人物でした。
 この計画が果たされるまでは、彼は決して死ぬことはありません。
 神さまの約束を知り、神さまの守りに期待する人は、生きる力が湧いてくるのです。

 生きる力。
 それは、神さまとのつながりから生まれます。

イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
   ヨハネ11:25

今日の聖書/「私があなたのいのちをたいせつにしたように」サムエル記第1 26章24節

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 ダビデは、またしてもサウル王を殺せるシーンで手をかけることをしませんでした。
 いかに悪い王様ではあっても、神さまの許しの中で王として立っているのだからです。

 ダビデは、自分への殺意に燃えるサウル王ではあっても、相手のいのちをたいせつにする、と言います。
 それによって神さまもまたダビデのいのちをたいせつにしてくださるのだから、と。

 私もまた、「いのちをたいせつにされた者」です。
 イエス・キリストは身代わりに十字架にかかることで、私を滅びから救ってくださいました。
 これほどまでの愛を知ったなら、誰のいのちも軽んじず、ひとりひとりの尊厳を尊重する関わりをするべきでしょう。
 それが神さまの願われることなのですから。

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに愛し合いなさい。
  ヨハネ13:34