カテゴリー別アーカイブ: 申命記

今日の聖書/「主にあって生き、主にあって死ぬ」申命記34章5節

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 モーセの死について語って、申命記は閉じられます。
 神さまは人間の寿命を120年に定めたと記されていますが、その上限まで生きたことになります。
 最後まで目がかすむこともなく、気力も衰えなかったと記されています。
 彼は死の間際まで神に祈り、民を祝福することができたのです。

 約束の地カナンに入ることが出来なかったのは、モーセにとって心残りであったでしょう。
 しかし、彼は本当の約束の地である、神の国に帰りました。

 大切なことはいつ死ぬかではありません、何を見つめて生きたかであり、どこに帰っていくか、です。

「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、
 すなわち天の故郷にあこがれていたのです。
 それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを
 恥となさいませんでした。
 事実、神は彼らのために
 都を用意しておられました。」ヘブル11:16

今日の聖書/「最後は祝福」申命記33章1節

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 モーセの120年の生涯は閉じられようとしていました。
 神と民にささげられた人生であったと言えるでしょう。
 出エジプトの長い旅路において、逆らい続ける民を、忍耐と祈りで導き続けました。

 彼は知っています、約束の地に入った後、民が堕落することを。
 モーセの献身とは裏腹に、彼の死後、民は偶像礼拝にふけり、イスラエル王国は隆盛の後に滅ぶことも。
 しかし、彼はさらにその先の歴史に望みをつなぎます。

 彼は民に出来る限りの警告のことばを残しました。また神のみ思いを伝えました。

 そして最後は、祝福の祈りです。
 12部族のそれぞれの名を呼び、それぞれに祝福を祈ります。
 それはつまり、結局のところ神の御心の本質は、私たちへの祝福であることを表しています。
 最後に語られることばに本質があります。
 神は警告よりも、さばきよりも、祝福をこそ与えたいのです。
 ここに、後の時代におけるキリストの誕生と十字架の理由があります。

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
 ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
 主権はその肩にあり、
 その名は「不思議な助言者、力ある神、
 永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、
 ダビデの王座に着いて、その王国を治め、
 さばきと正義によってこれを堅く立て、
 これをささえる。今より、とこしえまで。
 万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
   イザヤ9:6-7

今日の聖書/「力といつくしみ」申命記32章11節

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 神さまの取り扱いが、力強い鷲にたとえられています。
 私たちはひとりひとり弱いひなです。
 しかし、私たちは弱くはあっても平安です。
 力といつくしみの神がご一緒くださるからです。

 ひながそうであるように、口を大きく開けて、神を呼び求め、また賛美しましょう。

「あなたの口を大きくあけよ。
 わたしが、それを満たそう。」詩篇81:10

今日の聖書/「満足と罪」申命記31章20節

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 イスラエルの民はついに約束の地カナンに入ろうとしていました。
 ここで、100万の民のリーダーシップはモーセからヨシュアに引き継がれます。

 神さまはヨシュアに「雄々しくあれ、強くあれ」と繰り返し励まされます。
 ヨシュアの戦いは外敵との戦争だけではありませんでした。この章で強調されているのは、もっと困難な敵、すなわち民の罪の性質との戦いでした。

 約束の地に入り、長い流浪から解き放たれて、彼らが安定した生活と豊かな作物に恵まれるようになるなら、必ず彼らは堕落していくだろう、と神さまは言われたのです。
 本当に悲しい人間の性質が、ここに表れています。
 エジプトでの奴隷から自由になったとのに、こんどは罪の奴隷になろうとしているのです。

 人は不自由な時や、涙を流しているときは神さまに対して真剣です。
 しかし、自由になり、平安を得た時に、思いにはにぶり、罪を積極的に選ぶのです。

 それは感謝を忘れるからです。
 私が今生かされており、自由であるのは神の恵みです。
 私が、長年の孤独や罪の責め、死の恐怖から解放されたのは、貴いイエス・キリストの十字架の死によって救われたからです。

 与えられた自由をもって、神を礼拝し、感謝をささげること。
 その道を選ぶならば、再び罪の奴隷にまいもどることはありません。

「キリストは、自由を得させるために、
 私たちを解放してくださいました。
 ですから、あなたがたは、しっかり立って、
 またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」
  ガラテヤ5:1
「兄弟たち。
 あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
 ただ、その自由を肉の働く機会としないで、
 愛をもって互いに仕えなさい。」
  ガラテヤ5:13

今日の聖書/「あなたはいのちを選びなさい」申命記30章19節

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 申命記は、神からの律法の書です。
 そこには豊かな祝福と、いくらかののろいが記されています。
 そして、神さまのみこころがはっきりと示されています。
 「あなたはいのちを選びなさい」
 これが聖書に記されている神さまの願いです。
 私たちが永遠の死ではなく、いのちに進むことです。
 神さまはのろいではなく、祝福を与えたいのです。

 救いのことばである聖書、救いの道であるイエス・キリスト。
 神さまはいのちに至る確かな恵みを差し出されています。

 「あなたはいのちを選びなさい」

 この招きは、永遠の呼びかけとして、すべての人に語りかけられています。

「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。
 ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。
 私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。
 神の和解を受け入れなさい。」第二コリント5:20

今日の聖書/「奥義と現象」申命記29章29節

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 人間はすべてを把握したいという知的欲求がありますが、神さまが明らかにしてくださったものしか、人は知ることができません。
 神が人を把握するのであって、人が神を把握するのではありません。

 私たちは、神さまについて知るために、明らかにされている情報を誠実に受け入れることが大切です。
 憶測も類推もするべきではありません。
 仮説を立てて検討することが有効ですが、最優先されるべきなのは、資料と現象です。

 聖書があり、イエス・キリストが歴史上に登場されたこと。
 この資料と現象は、もっとも尊重されなくてはなりません。
 何がそこで語られて、それが人間と世界にどう影響するか、を。

 そして、聖書のことばに従って生きるときに、自分自身の個人的な経験として、どのような現象が起こったかも大切な資料となります。
 
 確かなキリスト教信仰とは、聖書への誠実な探求と忠実なキリスト理解、そして自分の信仰生涯の現象の確認によって確立されるのです。

「その永遠のいのちとは、
 彼らが唯一のまことの神であるあなたと、
 あなたの遣わされたイエス・キリストとを
 知ることです。」第1ヨハネ17章3節