カテゴリー別アーカイブ: 士師記

今日の聖書/「主にあってきちんと悲しむ」ルツ記1章21節

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 クリスチャンは、いつも微笑んでいなくてはならないわけではありません。
 悲しい出来事があったなら、悲しいと泣けばいいのです。
 そして、すべてを神さまにゆだねて生きているのなら、「神さまが私のこんなつらい目に合わせたのです」と訴えればいいのです。

 ルツのしゅうとめナオミは、夫に先立たれ、二人の息子を失い、異邦人の嫁ルツととともに悲しみの帰郷をしました。

 しかし、彼女はそこで思いもかけない喜びの将来を知ることになります。
 その時はじめて、苦しみは苦しみで終わらないこと、神さまには大きな計画があることを知るのです。

 主にあってきちんと悲しみ、主にあって大いに喜ぶ。
 信仰者はそんなあるがままの祈り手であればよいことを思わされます。

 イエス・キリストが十字架に架かられたということは、私たちの人生に最悪のことは起こりません。
 それは、キリストが身に引き受けてくださったのです。

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、
測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
  第2コリント4:17

今日の聖書/「導く者がいなければ」士師記21章25節

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 なんとも混乱した情況が記されています。
 ベニヤミン族は罪を犯したので、他の部族は戦争によって彼らを打ち負かしました。
 しかし、このままではベニヤミン族が消滅してしまう、と、今度は妻をめとれるように、と娘たちの略奪をゆるすのです。
 読む人に混乱を与える、場当たり的で無軌道な出来事が続きます。

 そして、そのまま士師記は終わります。
 
 士師記は、人間がおのおの自分の考えで生きると、どうなっていくのか、ということを教えてくれています。
 退廃と混乱、善悪の相対化、身勝手な解釈の横行、そして増大する苦痛。

 神とそのことばに聞き従うことは、人間を神の奴隷にすることではありません。
 聖書は、人を自由にし、幸福にするために語りかけ、戒め、また平安を満たします。

 混乱の中ではいつも弱い者が犠牲になります。
 それは、今の社会もまたそうなのではないでしょうか。

 聖書が与えられています。
 また、聖書を裏付けるイエス・キリストがおられます。
 心を定めて聞き従う私たちであらせてください。

 イエスは彼らに言われた。
「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。
 やみがあなたがたを襲うことのないように、
 あなたがたは、光がある間に歩きなさい。
 やみの中を歩く者は、
 自分がどこに行くのかわかりません。
   ヨハネ12:35

今日の聖書/「心に規律がないとき」士師記19章1節

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 イスラエルにおけるモラルの退廃と混乱を象徴するような事件が記されています。
 そして、それは「王がなかった時代」であった、と添えられています。

 この一節だけを見ると、「では王がいれば、国に規律が生じるのかな」と思わされますが、旧約聖書は王政に対しても否定的です。
 王たちもまた罪を重ねて、国を滅ぼすからです。

 本当の規律は、神さまの与えることばです。みことばを人々が受け止める時に、心に規律を得ることができるのです。
 心に規律が無い時に、人は道を簡単に踏み外し、自分も他者も傷つけることになります。
 私たちは根っからの罪人なのですから。

 イエス・キリストは、そんな私たちを救うために来られ、身代わりに十字架にまでかかってくださり、神さまのことばを届けてくださいました。
 ただ、この恵みによって、人は自分の人生を真っ直ぐに生きることができるのです。

正しい父よ。
この世はあなたを知りません。
しかし、わたしはあなたを知っています。
また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。
そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。
また、これからも知らせます。
それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、
またわたしが彼らの中にいるためです。
  ヨハネ17:25-26

今日の聖書/「何で心ははずむのか?」士師記18章20節

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 この祭司は、「神々」の像に仕えていたり、待遇優先でものごとを考えたり、とおよそ神に仕えるしもべとは言いがたい人物です。
 ダン族が、祭司がほしくて祭司ごと神々の像を強奪したとき、祭司自身は一氏族の祭司になれるんだ、と「心がはずんだ」と記されています。

 なんとあさましい人物でしょう。
 しかし、これが人間の本当の姿なのではないでしょうか。

 私たちの心がはずむとき、そこに私たちの真実があります。
 私は何で心がはずむのでしょう。

 大きな群れの牧師になること?
 世間に名が知られること?
 肩書が増えること?
 立派なたたずまいの教会堂の牧師になること?

 そんなことで心がはずむなら、私は人生をむだに生きていると言えるでしょう。
 目の前の一人の人が神さまに出会うこと。
 そのことにこそ心がはずむのでなければ、どこかでイエス様の背中を見失っているのです。

 私という一人の人格のために、惜しみない愛を注がれたキリスト。
 一人の小さなしもべとして、この方との歩みを全うできますように。

 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。
「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
 神のみこころを行う人はだれでも、
 わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
   マルコ3:34-35

今日の聖書/「正しく愛することを教える」士師記17章2節

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 個人的には、聖書中もっとも読むのが困難な箇所に入ります。
 士師記は、人々が神を軽んじ、規律をもたない文化について記しています。その中の一つの大事件について数章が割かれています。
 しかし、この大事件の発端は、母親の大金を盗んだ息子の出来事から始まっていたことに目がとまりました。
 国の乱れは家庭の乱れから始まるのでしょう。

 子どもたちを正しくしつけることのできない時代に、犯罪も内乱も生じるのではないでしょうか。
 私も若い魂に関わる牧師として、自らに問いたいと思います。
 「正しく神を愛すること」
 「正しく人を愛すること」
 その二つを聖書から教えているでしょうか?

みことばを宣べ伝えなさい。
時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
寛容を尽くし、絶えず教えながら、
責め、戒め、また勧めなさい。
 第2テモテ4章2節

今日の聖書/「ゆずれない事がら」士師記16章16節

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 サムソンは、明かしてはならない秘密を明かしました。
 愛人のデリラは、お金に目がくらんで、サムソンを罠に陥れるつもりだったのです。
 サムソンは、自分の力の秘密を、この女に明かすことをためらいました。それは、神さまよりもこの女性を大切にすることでした。また、自分の身に滅びをまねきかねないことがらだったのです。
 
 しかし、ついに彼はゆずれない事がらをゆずったのです。
 彼が力の源を明かした直後、彼は愛した女の手によって、売り渡されたのでした。

 人は異性の誘惑に弱いものです。異性はもとより魅力的に造られているのですから。
 しかし、いかなる性愛よりも、心の内に住まわれるキリストをこそ愛することこそ、人にとっての幸いです。
 男女間の不安な愛に身をゆだねるとき、本当の安らぎはありません。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。
 わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
 わたしがあなたがたに与えるのは、
 世が与えるのとは違います。
 あなたがたは心を騒がしてはなりません。
 恐れてはなりません。」ヨハネ14:27