カテゴリー別アーカイブ: 出エジプト記

今日の聖書/「主の民は主のみ心に従って生きる」出エジプト記40章37節

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 荒野の旅において、イスラエルの民は神さまからのしるしがあるまでは宿営を続けていた、と記されています。

 ここは踏み出すべきでしょう!と思える時、周りが勇み足になる時、「はて、聖書はなんと言っていたかな」と思える感覚は大切です。
 
 神さまに祈りつつ、そのみ心に従って生きようとする人は、神さまの最善の道筋を見つけ、最良のタイミングで判断することができます。
 
 たとえば、人間関係がこじれてしまう時に、「友はどんな時も愛するものだ」(箴言17:17)のようなことばによって、争いではなく和解に向けて大きく舵取りできたりします。

 神さまは、道を教えてくださる方です。

「わたしに仕えるというのなら、
 その人はわたしについて来なさい。
 わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。
 もしわたしに仕えるなら、
 父はその人に報いてくださいます。」
    ヨハネ12:26

今日の聖書/「まことに主が命じられたとおりに」出エジプト記39章41節

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 神さまに選ばれて職人たちを中心としたイスラエルの民は、神さまがモーセに伝えられた指示通りに、礼拝のための幕屋とすべての器具をつくりました。
 「まことに」主が命じられたとおりに、と強調されています。
 このような、まったき神への奉仕に憧れます。

 今年山陽教会では小学3年生の子への洗礼を授けました。
 そのような低年齢の子への洗礼は、私にとってはじめての経験でした。
 いくつかの決め手がありましたが、その一つは彼女自身のこのことばです。
 「うちな、神さまについていきたいんよ。カンペキについていきたいんよ。」
 自分ができるかぎり、最善を尽くして神さまに従う、そのために洗礼も受けたい、ということだったのです。

 私たちは不完全なものですが、そんな私たちでも神さまのことばを愛して従おうとするなら、神さまの御心を行う力を神さまは注いでくださいます。
 ここに、人として生きる新たな祝福の世界があります。

 主よ。あなたに従うものでありたいと思います。
 まことに、あなたが命じられたとおりに、のびやかに、私らしく、心をこめて。

「神は、みこころのままに、
 あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
 事を行わせてくださるのです。
 すべてのことを、
 つぶやかず、疑わずに行いなさい。」
   ピリピ2:13-14

今日の聖書/「一人では完成しない」出エジプト記38章23節

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 技術者ベツァルエルに加えて、神さまはもう一人の技術者を選ばれました。
 オホリアブは彫刻や刺繍のプロフェッショナルだったようです。

 神さまはベツァルエルひとりで、設計のしごとをさせなかったのです。
 幕屋とそれを構成するすべての器具は、民の喜びと協力の目に見えるしるしだったのです。

 これは、現代の教会のあらゆる働きにも通じることです。
 聖書において教会は「キリストのからだ」と表現されます。
 ひとりひとりは、そのからだを構成する各器官なのです。互いに補いあい、支えあうように、と命じられています。

 「わたしだけががんばっとる・・・」という状態や「私はなんもできんなー」という状態は、教会の姿としてはふさわしくありません。
 それぞれになすべき働きがあり、それはお互いのつながりなくしては完成されるべきではないのです。

「大ぜいいる私たちも、
 キリストにあって一つのからだであり、
 ひとりひとり互いに器官なのです。」
   ローマ12:5

今日の聖書/「ことばを目に見えるかたちにする知恵」出エジプト記37章1節

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 主から知恵を頂いた技術者ベツァルエルは、神がモーセに語られた指示に従って、契約の箱を始めとする様々な礼拝の用具を制作しました。
 キュビトとは約44cmです。
 (↓契約の箱の想像図)
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 彼は、まだ見たことのないものを、ことばによる指示だけで形にしました。
 彼にはそれをするための神からの知恵が与えられていた、と記されています。
 聖なるアート、と言うことができるでしょう。

 ことばをかたちにするアート。
 それは、今を生きるわたしたちの日々のわざである、と言えます。
 聖書が語ることばを受け止めて、それを生活の現場で実践するのです。
 「平和をつくる」とはどうすることなのか、「互いに各器官としてキリストのからだをつくる」とはどういうことなのか、「キリストに愛されたように愛しあう」とはどのように関わりあうことなのか。
 ことばを最良のかたちにして実践する。そのための知恵も神さまは与えてくださいます。

 生きるとは、新たなものを生み出すことであり、神と人を喜ばせる実りを結ぶことです。

「私たちは神の作品であって、
 良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
 神は、私たちが良い行いに歩むように、
 その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」
    エペソ2:10

今日の聖書/「感謝から生まれるもの ーありあまるささげものー」出エジプト記36章7節

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 荒野を旅するイスラエルの民が、新たに金や銀や宝飾物を得ることはできなかったでしょう。
 彼らは自分たちが持っているものをささげたのです。
 幕屋での礼拝につかう器具を作るのに十分な材料が集まったと記されています。
 民はそれでもささげることをやめなかったとあります。
 また、それらの材料を使う技術者たちも進んで奉仕をしました。

 彼らにささげものをさせたのは、「感動」であったと聖書はいいます。
 強いられてささげたのではなく、進んでささげたのです。
 
 教会のすべての活動や、クリスチャンの生活の原動力はこの「感動」です。
 感動は恵みのあるところに生まれます。
 そして聖書と聖霊は恵みを語り続けてくれます。

 ただ、感動すべき恵みを受けていながら、それを忘れるということもあります。
 当然のこととして神さまからの恵みを受け止め、さらに他のものを求めたり、不平をつぶやいたりするのです。
 イスラエルも、やがてこのような罪を犯すことになります・・。

 私はどのように神さまに愛されているのか。それを見つめることは、私達自身が感動する民、進んで良きものをささげる民であるために重要です。

「わがたましいよ。
 主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
    詩篇103篇2節
「信仰の創始者であり、
完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されました。」
    ヘブル12:2

今日の聖書/「職人に教える力をも」出エジプト記35章34節

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 荒野の旅路にありながら、イスラエルの技術者たちは高度な細工で神の幕屋や器具を設計しました。
 それに使う金や銀も、民が心から進んでささげたとあります。

 設計者や技術者たちに神さまは優秀な技能を与えました。
 それだけではなく、教える力も授けられた、とあります。

 「あの人は職人だね」と言われる人たちがいます。
 それぞれの道にプロフェッショナルがいて、誰も到達できないような感覚と技量を発揮します。
 しかし、その技能を上手に教える力も兼ね備えた人は多くはありません。

 人に何かを教えることは簡単なことではありません。
 「教えても無駄だな」とか、「自分も自分で見つけだしたのだから、あなたも自分で身に着けなさい」と言ってしまいたくなることもあるでしょう。
 しかし、神さまは技能だけではなく、次の人を育てる力もまた与えてくださるお方です。

 職人は弟子に技術を、親は子どもに生きるすべを、教師は生徒に学び方を、クリスチャンは求める人に救いの道を。
 伝える力、教える愛と知恵をお与えください。

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、
 その人は、だれにでも惜しげなく、
 とがめることなくお与えになる神に願いなさい。
 そうすればきっと与えられます。」
   ヤコブ1:5