カテゴリー別アーカイブ: エステル記

今日の聖書/「ただ、神のこどもらしく」エステル記10章3節

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 エステル記の最後は、王妃エステルについてではなく、養父モルデカイの記述で終わります。
 彼の生涯に注目するように、読者を促しているのです。

 モルデカイは捕囚の民の立場にありながら、ペルシャにおいて王の次の位にまで上りつめたのです。
 しかし、彼はそのために人をおしのけたり、出世のために画策したりは一切しませんでした。

 彼がしたことは、神の民としての基本的なことです。

 1.養女エステルに信仰を継承し、愛育しました。
 2.異教の王ではあっても、与えられた職務に忠実でした。(3:21-23)
 3.ほんとうの神さま以外のものにひざまずくことをしませんでした。(3:2,5:9)

 この一つ一つが、すべて神さまの計画の中で用いられて、国を変え、ユダヤ民族を救う大きなことがらに発展したのです。
 ただ、神の子どもらしく生きること。それが、何をする上でも、もっとも大事なことなのではないでしょうか。

 私達の救い主、イエス様のことを考えてみてもそうです。
 人からの賞賛を求めることは一度もありませんでした。しかし、全人類の救いを成し遂げられました。

「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、
 今は、主にあって、光となりました。
 光の子どもらしく歩みなさい。」
   エペソ5:8

今日の聖書/「悲しみが喜びに」エステル記9章22節

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 王妃エステルの決死の嘆願が功を奏し、ユダヤ人は虐殺の危機から救われました。
 そればかりか、一転して、ユダヤ人を憎悪する者たちが滅ぼされることになったのです。

 絶望的な状況から、一気に救いと自由を得たユダヤ人達は、その日を祭りの日(プリム)と定めました。

 22節の喜びの記述は、そのまま、クリスチャンの救いの喜びに重ねることができる表現です。
 罪人であったのに、赦され、神の子どもとされた幸いは、生涯消えることがないものです。
 日々神さまに愛されているのですから、私たちはいつも喜び、また誰かに贈り物をし続ける者でありたいと願うのです。

 私達のために、身代わりの死をとげてくださった、十字架のキリストに今日も感謝いたします。
 ここに、私達の喜びの源があるのですから。

「いつも喜んでいなさい。
 絶えず祈りなさい。
 すべての事について、感謝しなさい。
 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに
 望んでおられることです。」テサロニケ第1 3:16-18

今日の聖書/「神の民が喜びにあふれる日」エステル記8章16節

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 王妃エステルと養父モルデカイは、祈りの中で、ペルシャ国内のユダヤ人を救いました。
 ペルシャ王からの急使が国中に使わされ、新しい法令を伝えました。
 今までしいたげられていたユダヤ人に自衛権を与え、ユダヤ人を殺害しようとしていた者たちにどのような罰を与えることも許可するものでした。
 
 このとき、今まで身分を隠していたユダヤ人たちも、喜びにあふれて「私はユダヤ人です!」と名乗りを上げたのです。
 自分たちが生粋のユダヤ人であることを誇り、証明しようとしたことでしょう。

 クリスチャンにもこのような日が来ます。
 それが新約聖書には約束されています。

 いつか、イエス・キリストがこの世界にもう一度帰ってこられるとき、クリスチャンたちは喜びに満たされるでしょう。
 かつて洗礼を受けた人、かつて教会に行っていた人たちが、「私もクリスチャンです!」と声を上げ、それを証明しようとするときが。

 そんな大きな喜びを信じて、教会はこの時代の中で、全人類のために十字架に架かられたイエス・キリストを指し示し続けます。
 時が良くても、悪くても。

「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とを
 さばかれるキリスト・イエスの御前で、
 その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
 みことばを宣べ伝えなさい。
 時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
 寛容を尽くし、絶えず教えながら、
 責め、戒め、また勧めなさい。」第2テモテ4:1-2

今日の聖書/「憎しみの行き着く先」エステル記7章5節

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 大臣ハマンのモルデカイに対するひとりよがりな怒りは、結局自分の身に降りかかることになりました。
 ユダヤ人であるゆえに、モルデカイはハマンにひれ伏すことをしませんでした。それに対してモルデカイは逆上し、ユダヤ人虐殺を計画するのです。この行き過ぎた怒りと憎悪が、ハマンの思わぬ結果を引き起こしました。
 王妃エステルもまたユダヤ人であったのです。

 ハマンの計画は愛する妻を殺すことになる、ということを知った王は、直ちにハマンをさばきました。
 モルデカイを架けるために作っておいた柱に、ハマンは自らが架けられることになったのです。

 ああ、人の怒りと憎しみとは、なんと恐ろしいものでしょう。
 人を傷つける罪は、結局自分に帰って来るのです。
 
 しかし、イエス・キリストは、そんな私たちの憎しみの罪の罰をも、身代わりに引き受けてくださいました。
 私が架かるべき十字架に、イエス様が架かってくださったのです。
 それを思うときに、誰のことも憎むことも怒ることもできないな、と思うのです。
 憎しみからの自由を、神さまは与えてくださいました。

「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、
 心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。
 みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」
  ヤコブ1:20-21

今日の聖書/「神さまのとき」エステル記6章1節

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 エステル王妃は、ユダヤ人を救うために、自分にでき得ることを懸命にしようとしていました。
 大臣ハマンはすでにユダヤ人虐殺の命令を王に出させることに成功していました。
 そんな中、絶妙なタイミングで、王はエステルの養父モルデカイのかつての手柄の記録を読みます。
 それによって、形勢は大きく変わることになります。(このあたりはとても読んで楽しいストーリーなので、ぜひエステル記を読まれることをおすすめします。)

 神さまのみこころを受け止めて行動する人は、神さまは大きなサポートをしてくださいます。
 神さまのときを生きる人は、恐れないで、自分にできる今日の一歩を歩むことです。

「たたきなさい。そうすれば開かれます。」ルカ11:9

今日の聖書/「信頼とは」エステル記4章14節

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 ユダヤ人を救えるのはあなたしかいない、とモルデカイは養女エステルに伝えます。
 エステルは王妃の身分ですから、この二人は直接会えるわけではありません。
 しかし、二人はどれだけ離れていても心は一つであったことがこのやりとりからうかがわれます。

 二人は血のつながりはありません。
 でも、同じ信仰を持っているという事実が、この二人の絆を確かなものにしています。

 信頼関係は、何を共有しているか、によって確かにされていきます。
 同じ神に愛され、同じ神を愛している、という信仰の共有は、これほどまでの深い信頼関係を生むのです。

「私たちの交わりとは、
 御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」
   第1ヨハネ1:3