カテゴリー別アーカイブ: 使徒の働き

今日の聖書/「宣教する囚人」使徒の働き28章23節

20140414-104027.jpg
 囚われの身となったパウロは、ついにローマに護送され、カイザルの法廷に立つことになります。
 しかし、もとより罪状らしい罪状も無かったパウロは鎖でつながれていたものの人々と語ることは許されたようです。

 ですから、彼のもとにはキリストについての知らせを聞くために大勢の人々が集まり、彼は朝から晩まで福音を語り続けたのです。
 ここにこそ彼がローマに来た理由がありました。
 神さまの世界宣教の計画のために、パウロは大きく用いられることとなったのです。

 神さまが福音を伝えようとされる以上、誰もそれを止めることができません。
 みことばは今日も生きて働き、私を生かし、また伝えられていきます。

「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とを
 さばかれるキリスト・イエスの御前で、
 その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
 みことばを宣べ伝えなさい。
 時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
 寛容を尽くし、絶えず教えながら、
 責め、戒め、また勧めなさい。
 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、
 自分につごうの良いことを言ってもらうために、
 気ままな願いをもって、次々に教師たちを
 自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、
 空想話にそれて行くような時代になるからです。
 しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、
 困難に耐え、伝道者として働き、
 自分の務めを十分に果たしなさい。」
   第二テモテ4:1-5

今日の聖書/「ことばが届いたなら」使徒の働き26章28節

20140413-083016.jpg
 パウロの被告人としてん弁明を聞いたとき、ローマ総督フェスともユダヤの王アグリッパも、パウロには何の罪もないことが分かりました。
 それだけでなく、アグリッパ王はパウロが宣べ伝えているイエス・キリストの教えが心に迫ってきました。
「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」
 と王は話し、その場をやり過ごそうとしています。
 しかし、それは彼にとっては救いのチャンスであったのです。
 神のことばが届いたなら、それを受け止めて応答することです。

 聖書のたった一節のことばに触れてクリスチャンとなる人たちもあります。
 大切な事は、ことばが届いたという事実です。

「神のことばは生きていて、力があり、
 両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、
 関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、
 心のいろいろな考えやはかりごとを
 判別することができます。」
   ヘブル4章12節

今日の聖書/「みこころのみがなる」使徒の働き25章26節

※本章と26章を読み飛ばしてました・・

20140412-080816.jpg
 パウロはついにローマ皇帝カイザルの法廷に送られることとなります。
 しかし、これは不思議な上訴でした。
 というのは、彼の罪状が何一つ確定しないままだったからです。

 取り調べをしたローマ総督フェストのとまどいが上記のことばに表れています。
 フェストはユダヤのアグリッパ王と共に大規模な集まりを開催し、パウロのことを調べようとしています。

 関係者は皆、いったいどうしてこんなことになったのだろう・・と思っているかも知れませんがパウロには神さまのみこころが分かっていました。
 神さまは当時の世界の中心ともいえるローマに福音を運ばせるために、パウロを用いているのです。

 人の社会では、たくさんの人の思惑が重なりあって思わぬ方向に話が進んでいったりすることがよくあります。
 しかし、神さまのみこころは粛々と進んでいくのだ、ということを思わされます。

「人の心には多くの計画がある。
 しかし主のはかりごとだけが成る。」
   箴言19章21節

今日の聖書/「目的地を与えられた人」使徒の働き27章24節

20140411-073512.jpg
 パウロを初めとする囚人たちやローマ兵を載せた船は、地中海で暴風ユーラクロンに捉えられ、難破の危機に直面していました。
 しかし、パウロの心には平安がありました。

 彼は神さまから目的地を与えられていました。
 だから必ずここで死んだりしない、という確信があったのです。

 神さまから人生の目的を与えられている人は幸いです。
 波を渡り、風に向かって立つことができるのですから。

 改めて、聖書が私に何を語り、何を指し示して下さっているかを思う朝です。

「ついに、私たちがみな、
 信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、
 完全におとなになって、キリストの
 満ち満ちた身たけにまで達するためです。」
   エペソ4:13

今日の聖書/「聞きたい話と聞きたくない話」使徒の働き24章25節

20140410-080414.jpg
 聖書は愛の書物です。
 また哲学書であり処世術の名著です。

 しかし何よりも神のことばです。

 人は、聖書を都合よく取り入れようとしてはいけません。それは必ず失敗に終わります。
 なぜなら、人格を滅ぼす罪の現実を取り扱われることなしに真の問題解決は適わないからです。

 聖書を読む人は、神の前に立たなくてはなりません。
 聞きたい言葉をも受け止めなくてはならないのです。
 耳に痛い針のことばは、同時に、心をいやす治癒のことばです。

 ローマの総督ペリクスは、囚人パウロを何度も訪れてその話を好んで聞きました。
 しかし、罪とさばきのテーマになると話を打ち切りました。
 罪を認めなければ、キリストの十字架によって赦されることはできません。しかし、悔い改めれば救われるのです。

 私たちが聞きたくない話の中に、私の真実があります。
 主よ、教えられやすい者とさせてください。

「主を恐れることは知恵の訓戒である。
 謙遜は栄誉に先立つ。」箴言15:33

今日の聖書/「波風を恐れず」使徒の働き23章11節

20140409-082145.jpg
 捕縛されたパウロをめぐって、騒ぎはますます拡大していきます。
 パウロに関するユダヤ人の議会が召集されますが、最期は大紛糾する議場からローマの千人隊長がパウロを救出しました。
 パウロ殺害のための暗殺団も組織され、ついには470人のローマ兵部隊に護送されてエルサレムからカイザリヤに移送されます。

 しかしこれらの出来事は神さまのみ心でした。
 キリスト教がローマにもたらされるための計画だったのです。

 もしも私たちがクリスチャンであるという理由で周囲との間に波風が立つ時があったとしても、それを恐れる必要はないことを思わされます。
 ただ、見るべき方を見て、伝えるべきことを伝える者でありたいと思います。
 嵐のガリラヤ湖で、水の上をも歩かれたキリストが、私たちを行くべき場所に導かれるのですから。

「風を警戒している人は種を蒔かない。
 雲を見ている者は刈り入れをしない。
 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、
 風の道がどのようなものかを知らない。
 そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。
 朝のうちにあなたの種を蒔け。
 夕方も手を放してはいけない。
 あなたは、あれか、これか、
 どこで成功するのか、知らないからだ。
 二つとも同じようにうまくいくかもわからない。」
   伝道者の書11:4-6