カテゴリー別アーカイブ: ヘブル人への手紙

今日の聖書/「聖くなければ、だれも」ヘブル人への手紙12章14節

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 聖霊は神の霊であり、また、わたしたちを聖さへと導きたもう霊です。
 神は聖ですから、神に近づく者も聖でなければなりません。

 わたしたちのためにはイエス・キリストが十字架に架かってくださいました。
 罪ある私ですが、祈ることにより罪を赦して頂く事ができます。
 悔い改めと赦し、その繰り返しの中で、ますますキリストの愛を知り、聖さへと変えられていくことが可能です。

 主よ。聖くなりたいのです。
 あなたと共に生きた、と一言でまとめられる生涯を歩みたいのです。

「律法が入って来たのは、
 違反が増し加わるためです。
 しかし、罪の増し加わるところには、
 恵みも満ちあふれました。」ローマ5:20

今日の聖書/「信仰によって、この世界を生きる」ヘブル人への手紙11章3節

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 神の意思によってこの世界が造られたことを私は信じています。
 神のことばによって出来た世界の中に私は生かされているのです。

 それは、そう信じたほうが楽だから、ではなくて、そう「信じている」からです。
 私が到達した知恵ではなく、また自分に言い聞かせて自分を洗脳したわけでもありません。
 あえて言えば、そう信じる信仰が与えられたのです。
 そして私の理性もこの世界観に納得をしています。

 この世界が神のことばによって造られたことを信じるなら、この世界で起こるすべてのことがらは、神の権威の下にある、ということになります。
 神と交わりを持つ人は、今日を恐れる必要はなく、明日におびえることもありません。

 こうして信仰は理性と調和し、感情において平安をもたらしました。
 そして、具体的な行動を生み出します。
 恐れることなく、一歩を踏み出すことができるのです。

 信仰と共に旅する旅人は、未知の一歩を恐れません。
 けっきょくのところすべては、神のみそばに帰る、ふるさとへの一歩一歩なのですから。

「しかし、事実、彼らはさらにすぐれた故郷、
 すなわち天の故郷にあこがれていたのです。
 それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを
 恥となさいませんでした。
 事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」
   ヘブル人への手紙11章16節

今日の聖書/「赦されない罪とは」ヘブル人への手紙10章29節

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 イエス・キリストによっていっさいの罪は赦されます。
 しかし、「赦されない罪」がある、と聖書の幾箇所かに記されています。

 それは、一度イエス・キリストを信じた後に、あえて罪を犯し続けるケースです。
 キリストを信じる人は愛を知り、きよさを味わい、次第に変えられていきます。
 その恵みに逆行し、あえて罪に邁進するなら、もはやその人を救うすべをキリストは持ちません。
 「聖霊を侮る者」と記されています。内に住んで働きかける聖霊を無視し続け、反抗し続けるのですから。

 しかしそうでない限り、一切の罪は赦されるのです。
 大切な事は悔い改めです。

 立ち止まって向きを変え、イエス・キリストの十字架の圧倒的な赦しを信じて、自分のすべてを打ち明けていくことです。
 「赦されない罪」についての警告は、軽んじられるべきではありません。そしてこれは、絶対にそんな破滅的な道を選ばないように、という神の愛から出ている警告です。

「たとい、人の子をそしることばを
 使う者があっても、赦されます。
 しかし、聖霊をけがす者は赦されません。」
   ルカ12章10節

今日の聖書/「ただ一度、永遠に」ヘブル人への手紙9章12節

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 イエス・キリストの十字架による贖罪には、二つの特徴があります。
 「ただ一度」で完了し、「永遠」に赦しを与え続けるのです。

 私はこの方による罪の赦しに触れたときに、生涯における最大級の感動を覚えました。
 罪が赦される。完全に赦される。
 その感動は、私の人生を変えてしまう感動だったのです。

 今はこの感動を伝えたくて生きている、と言ってもいいでしょう。
 時代は、よりどころを失ってもいまだに神を求めようとはしません。
 絶対的な愛に憧れても、心を開こうとはしません。
 また、語る私はいと小さなもので、欠けだらけの器です。

 しかし、この心を生かしているキリストの愛は、あまりにも素晴らしくて、黙ってはいられないのです。

 神の子が、あなたの罪のために十字架に架かられました。
 あなたの罪を完全に赦すために。

「しかし、この方を受け入れた人々、
 すなわち、その名を信じた人々には、
 神の子どもとされる特権をお与えになった。」
   ヨハネ1:12

今日の聖書/「そして自らの体をささげものに」ヘブル人への手紙8章3節

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 ヘブル人への手紙は、ユダヤ人の読者を想定して書かれています。
 ですから、イエス・キリストについて、旧約聖書の引用を多く用いながら解き明かしています。
 救い主としてのキリストの働きについても、「大祭司」の職制で説明しています。

 祭司らは、人々の罪が赦されて神と和解が成立するためにいけにえをささげました。
 罪のためには、何か身代わりの血が流される必要があったのです。
 罪を犯すごとに動物がささげられました。
 また祭司らも罪人であったために、自分の罪のためにいけにえをささげていました。

 しかし、イエス・キリストは完全ないけにえをただ一度ささげることにより、全人類のあらゆる罪の赦しをもたらしました。
 それは、自らの体をささげることでした。
 生涯一度も罪を犯したことのない体でした。
 神のことばが人となってこられたお方が、ご自分をいけにえにしてくださったことにより、動物のいけにえはもはや必要なくなりました。
 神の愛によるまったき罪の赦し。
 それが聖書が与える救いです。

 今日もその赦しの中で、神の前を生きることができることを感謝します。

「ほかの大祭司たちとは違い、
 キリストには、まず自分の罪のために、その次に、
 民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。
 というのは、キリストは自分自身をささげ、
 ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」
   ヘブル7:27

今日の聖書/「完全に救うことがおできになります」ヘブル人への手紙7章25節

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 不完全な私を、イエス・キリストは完全に救うと約束されています。
 しかし、私はクリスチャンになってもなお、歩みがのろく、自己中心や高ぶりを払拭できないものです。
 それでもキリストは完全に私を救うと言われるのです。

 それはキリストが永遠に生きており、私のためにとりなし続けてくださるゆえです。
 聖書の救いは一回的な救いなのではなく、永続して注がれ続ける愛とのきよめによる救いなのです。

 恵みはこの心に今日も注がれ、そして明日も注がれます。
 時は流れ去っていきますが、空白を作ることはありません。絶え間なく神のみ心の時が新鮮に私に訪れます。

 永遠の神は永遠に救い続けてくださるお方です。
 今日も新しいことばを頂いて、新しい一日を歩みます。
 愛され続ける者、赦され続ける罪人、救われ続ける私として。

「ですから、私たちは、あわれみを受け、
 また恵みをいただいて、
 おりにかなった助けを受けるために、
 大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」
   ヘブル4:16