カテゴリー別アーカイブ: テトスへの手紙

今日の聖書/「聖霊を豊かに注ぎたもう神」テトスへの手紙3章6節

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 聖書が示す理想的な人間像は、「愛」と「聖」の要素を持つ人格です。
 それは神の性質でもあります。
 愛であり、聖である神との関わりの中で、人は本来的な自分を生きることができ、そこに最大の幸福があります。

 しかし、そのような理想的な人間像とは程遠い現実が自分の内にあります。
 自己中心のゆえに、他者をモノのように扱い、手段的にみなすところが私たちのうちにあります。
 自分の利害や欲望、自尊心に拘泥して、聖や愛に反する言動を日々量産する生活をしています。

 けれど、その私たちのために神がしてくださったことは、イエス・キリストの派遣であり、聖霊の注ぎです。
 父なる神と子なるキリスト、そして神の霊である聖霊は、ばらばらの神ではありません。
 神は人となってわたしたちの世界に望み、十字架に架かることによって、わたしたちの罪の身代わりの死を遂げてくださいました。それを信じるものは誰でも罪の赦しにあずかることができます。
 そうして罪の赦しを得た人の内には、神ご自身が住んでくださいます。この内に住まわれる神の霊を聖霊と呼びます。

 冒頭の聖句は、神は聖霊を豊かに注がれる、と約束されています。
 それは、聖なる者でない私をきよくする働きであり、愛の無い私をなおも愛し続ける不断の恵みです。

 心に尽きない泉を持つとき、どんな汚れた海を心に持っていても、やがてきよめられていきます。
 人は聖霊に信頼して生きるとき、つくり変えられ続けていくことができるのです。
 その希望の中で、感謝しつつ神の前を今日を歩むことができるのです。

 すべては、恩寵の中にあります。

「まことに、御怒りはつかの間、
 いのちは恩寵のうちにある。
 夕暮れには涙が宿っても、
 朝明けには喜びの叫びがある。」
   詩篇30:5

今日の聖書/「心とことばをすこやかにしてください」テトスへの手紙2章8節

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 健全、ということばが繰り返される章です。
 時代は不健全であり、私たちも不健康な罪の心をもとから持っている者です。
 そんな状況においてもすこやかな心であることは可能です。
 イエス・キリストのことばと愛があるからです。

 健全なことばを話すことの大切さが冒頭の聖句には記されています。
 それは、「敵対する者」に反論させないため、とあります。
 いつの時代にも教会に対する迫害者、敵対者があります。
 そのような相手と語り合うときに、声を荒らげたり、憎悪のことばを用いるべきではありません。
 すこやかなことばを語り続けることを聖書は勧めます。
 すこやかなことばは、すこやかな心からしか生まれません。
 私の心がいつも、健全でありますように。

 永遠の神があたえてくださるみことばを食べて、神と祈りで語り合う歩みを喜び、すこやかなことばを学ぶ者とさせてください。
 
 与えられた生涯の一日一日を、良い種まきに用いさせてください。

「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、
 悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。
 なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。」
  ルカ6:45

今日の聖書/「きよい人々には、すべてのものがきよいのです」テトスへの手紙1章15節

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 何を見るかではなく、どう見るかということの大切さを思わされます。
 歪んだ感性でものごとを見るのなら、きよいものもくすんで見えます。
 反対に、きよい心で見るならば、すべての事柄の中に感謝を発見することもできるでしょう。

 大切な事は、私の心がきよい神とともにあり、また真理のみことばを聞いているか、ということです。
 
 最近思うことは、将来は未知であるという当たり前のことです。
 見通しが立たないばかりか、正しい言動が社会から否定されることもあることを思います。
 金銭が社会の共通価値であり、善悪の基準は利得によっていかようにでも曲げられます。
 しかし、そのただ中にあっても、イエス・キリストとの交わりの中できよく変えられ続けていく歩みを聖書は教えています。

 どんなすばらしい展開が、人生に用意されているか分からないのです。この時代の中にあっても。
 大胆に期待しつつ、神と共に歩む私でいさせてください。

「主はあなたに告げられた。
 人よ。何が良いことなのか。
 主は何をあなたに求めておられるのか。
 それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、
 へりくだって
 あなたの神とともに歩むことではないか。」
   ミカ6:8