カテゴリー別アーカイブ: ガラテヤ人への手紙

今日の聖書/「実は誇れることなんてない」ガラテヤ人への手紙6章4節

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 人はだれも欠けと弱さを持っており、誰かの世話にならないと生きていけません。
 自分にはこれがある、と何かを誇るのは、大変みっともないことであって、実は「それが何?」と言われたら返す言葉もありません。
 何よりも自分で自分を吟味してみるといいのです。誰も見ていないときに何を考え、どんな行動をしているか、を。
 
 人は生きているだけで誰かに迷惑をかけています。
 すべての人がそうです。
 イエス・キリストは、そんな私のために、罪の重荷を肩代わりして十字架に架かってくださいました。
 そうやって愛を注いで下さりつつ、「互いの重荷を負い合いなさい」と命じられます。
 私の弱さを人に隠さないこと、友の弱さを私も担うこと。
 まずは、私の虚栄を認めて、神さまに差し出すことです。

「私たちは、この宝を、
 土の器の中に入れているのです。
 それは、この測り知れない力が神のものであって、
 私たちから出たものでないことが
 明らかにされるためです。」
   コリント人への手紙第2 4章7節

今日の聖書/「御霊によって歩みなさい」ガラテヤ人への手紙5章16節

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 自分に勝たねば、という意識で頑張る人がたくさんいます。
 その志は立派だと思いますが、実際には自分で自分に勝てたりはしません。

 努力を重ねて何らかの実績を出すことは出来るでしょう。神さまは人に豊かな能力を与えてくださいましたから。
 しかし、自分の人格をむしばむ自己中心性に勝つことは誰もできません。
 成果を出すほどに私たちは高ぶり、誰かと比較して誇るのです。
 あるいは、努力しても成果が出ないと自分を無価値な人間と思い込むのです。

 人は自分に勝つことなどできません。
 それは、神さまにより頼むべき事柄なのです。

 聖書は自己中心な本質のことを肉の性質と呼び、神の霊を御霊と呼びます。
 御霊は私たちのこころと生活に現実に介入する神の恵みの働きです。

 自分に勝つことのできない弱さを告白して、神の恵みの働きによりすがる人は幸いです。
 友よ、戦うあなたも、戦えずに泣くあなたも、それぞれに立派です。
 しかし、あなたはその本質に愛を受け入れるために造られた、神の作品です。

「兄弟たち。
 あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
 ただ、その自由を肉の働く機会としないで、
 愛をもって互いに仕えなさい。」
  ガラテヤ5章13節

今日の聖書/「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで」ガラテヤ人への手紙4章19節

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 このみことばは、最近の数年間わたしの心に響いていることばです。

 私は山陽聖約キリスト教会に2001年に妻と共に着任しました。
 神学校を出たばかりの、経験ゼロの牧師でした。
 
 卒業と結婚と就任が三週間の内に続きました。
 何もない、何の経験もない始まりでしたが、何をすべきかは知っていました。
 岡山に帰る夜行バスの中で、みことばが与えられていたからです。

「わたしがこの国を滅ぼさないように、
 わたしは、この国のために、
 わたしの前で石垣を築き、
 破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、
 見つからなかった。」エゼキエル書22:30

 私がすべきことは、荒れ果てた場所に行き崩れた石を積み直し、破れ目をふさぐことだ、と理解していました。
 聖約教団も、そして山陽教会も、まさにその頃は崩れた建物のような状態でした。
 
 私に何かの力があるわけではないのですが、ただみことばが与えられている、ということで心は決まっていました。
 なので毎日するべきことは分かりました。労苦しましたが、なすべきことが分かっているというのはいつでも喜びです。

 こうして最初の10年が経ちました。
 山陽教会はもう崩れた建物ではなくなっており、廃墟の中に生き残っていた信徒さんたちが力強く活躍する群れになっていました。傷は癒えたのです。考えてみれば、私は石を拾ってはうろうろしていただけだったかも知れませんが、ともかく神さまのなさることを目撃できて幸せでした。
 ただ、そんな時に私は次に教会に必要なのはなんだろう、と考えるようになりました。
 その時に冒頭のみことばが浮かんだのです。
 ただ、その時は「これは私ができることではない、もっとふさわしい方があるのではないか」と思ったのです。

 崩れたものが直ったのなら、こんどは「建て上げ」です。
 それはキリストの姿に似ていく完成への歩みです。
 ・一つは信徒さん個人個人の人格における成長
 ・もう一つは信徒さん相互のつながりの促進による教会全体の成長
 この二つを聖書は薦めています。
 しかし、これを進めるにはまさに「産みの苦しみ」にも似た労苦が予想されます。人を変える、ということがどれほど困難なことか・・。(そもそも自分が欠けだらけなのに)
 しかも教会が歩みを進めれば、その対象の人数は増え続けていくのです。

 2010年だったでしょうか、妻が精神的に疲弊して倒れました。
 色々な無理を妻に負わせる形の働きはもうしてはならない、ということも痛感していました。
 しばらくは双発のエンジンが一つだけになる厳しさを味わいました。
 
 気持ちは弱り、今後の働きに足がすくみました。
 しかし、神さまは他の任地を私たち夫婦に示されませんでした。
 そして今、私はこのみことばを握って歩んでいます。

 「私の子どもたちよ。
  あなたがたのうちに
  キリストが形造られるまで・・」
   ガラテヤ4章19節

 神さまがみことばを与えられた以上、みことばを実践する力も助けも与えてくださることは、今まで経験してきました。
 種入れをかかえてうろうろし、ジョウロをもってうろうろしながら、日々を生きることにしようと思っています。
 小さな働きでも精一杯にさせて頂ければ、後は神さまがみわざを見せてくださるでしょう。
 
 先日の教会修養会が終わったとき、牧師室にシートン議長がやってきました。
 「いい修養会でしたなー」「ほんとに・・」と語り合う中で、「もうここからは聖霊に運ばれるままに導いていただきましょう」と言うと「それしかないですね」との返事でした。
 
 キリストが一人ひとりを愛し、一人ひとりを育もうとされています。
 その豊かなお働きのためにお仕えし、栄光の目撃者とならせてください。

「みことばを宣べ伝えなさい。
 時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
 寛容を尽くし、絶えず教えながら、
 責め、戒め、また勧めなさい。」
  第2テモテ4:2

今日の聖書/「キリスト・イエスにあってひとつ」ガラテヤ人への手紙3章28節

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 救いは信仰によってもたらされます。その信仰とはイエス・キリストに対する信仰です。
 教会には様々な人がいますが、共通しているのがこのイエス・キリストに対する信仰です。

 皆がイエス・キリストを見つめている、皆がイエス・キリストの十字架によって罪赦されている。
 自分にとって最も大事な事実としてのキリストとの結びつきを共有するゆえに、教会はひとつの体なのです。

 今日も全世界でもたれる礼拝が祝福されますように。

今日の聖書/「ああ、福音の輝き」ガラテヤ書2章16節

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 一日一章ではもったいない気になることが多いです。何日もかけてじっくり味わいたい、そんな思いにさせられます。
 聖書とはなんと驚くべき味わい深い書物なのでしょう・・。

 キリストの十字架の赦しを信じる者は、神の目の前に義と認められて生きることができる・・。
 その清々しさと希望。
 パウロはこの福音(良い知らせ)の喜びをまっすぐに書き記しています。
 この喜びは誰にも奪うことはできませんし、そして誰でもこの喜びを得ることができるのです。

 永遠の神の前を、賛美をしつつまっすぐに歩ける。
 今日という一日を感謝します。

「私はキリストとともに十字架につけられました。
 もはや私が生きているのではなく、
 キリストが私のうちに生きておられるのです。
 いま私が肉にあって生きているのは、
 私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
 神の御子を信じる信仰によっているのです。」
  ガラテヤ書2章20節

今日の聖書/「誰の心を意識していますか?」ガラテヤ人への手紙 1章10節

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 誰に気に入られたいと思っていますか?
 誰に嫌われなくない、と意識していますか?
 あなたの心を占めているのは誰ですか?

 パウロはキリストの心を一番に意識していました。
 なぜなら彼は、キリストのしもべであったからです。

 一日の内にさまざまな人に出会い、さまざまなお話を伺う私にとって、朝の神さまとの時間はもっとも重要なひとときです。
 神さまのしもべとして、神さまを喜ばせるための私であることを確認する時間だからです。

 人を喜ばせることを最優先にするなら、その人のしもべです。
 その人のしもべになったら、その人を救うことはできません。
 愛するのなら、支配されないことです。

 真にお仕えするべき方と出会えたことを感謝します。
 あらゆる計算も、欲望も、不安要因も混ざらない、十字架の愛のキリストが私との永遠の交わりを喜んでくださることに、今朝も感謝します。

「どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
 恵みと平安があなたがたの上にありますように。」
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